不振のAV業界で彼女たちに起こっていること 「親公認」は売れるための必須条件だ
同ユニットで副キャプテンを務める川上奈々美の例を挙げる。彼女は2012年1月のデビューから約半年後に3歳上の兄がネットで作品を見つけたことがきっかけで親バレの修羅場を迎えた。特に母親は激昂し、実家とは疎遠になった時期もあった。しかし彼女の舞台出演を機に徐々にその信頼関係が回復し、テレビ、映画の仕事を知っていくうちに母親も理解を深めていった。今では娘が仕事に対して弱音を吐くと「今さら途中でやめちゃダメでしょ」と激励しているという。
またAV女優のアイドル活動の影響力は一般女性へも及ぶ。AV女優歴2年目の成宮リリ(仮名)が一番最初にAV女優という存在を知ったのは、第一世代恵比寿マスカッツリーダーの蒼井そらだった。「AV女優さんに憧れていました。普通のタレントやモデルよりも女子力あるし、体力あるし、メンタル強いじゃないですか!」興奮気味にリリは語る。中学のころ、彼女のスマホの待受画面は憧れのAV女優だったという。AV女優のアイドル化は親への説得材料、そして一般女性がAV女優を知るきっかけとして機能している。
諦められなかった「アイドルへの夢」
取材を進めていく中で「アイドル」というキーワードは別の形でも浮上した。それは「アイドルになりたかった」「有名になりたかった」と話す女優たちが多かったことだ。
女優歴3年目の単体女優・西川希美(23歳、仮名)もその一人。女手一つで娘を育てた希美の母親は希美のサイン会に足を運び、所属事務所にはお中元、お歳暮を欠かさず送っているという。
希美がAV女優になったのは20歳のころ。自らネットの求人広告を見て応募した。地元・新潟の専門学校を卒業後、上京し医療事務として働いていた。小学校時代からアイドルファンだった彼女は「イベントや握手会、ライブに行きたくて」と上京の理由を語る。医療事務はカレンダー通りに休日を取れるという理由だけで選んだ。しかし手取りは14万円、東京で20代の女性が一人暮らしをしていくには厳しい金額だ。AVはほんのお小遣い稼ぎ、あくまでも軽いアルバイト感覚だった。そもそも彼女の男性経験はゼロだった。AVの撮影現場で初めてAV男優を相手にセックスをした。処女喪失した初現場では泣いたことしか覚えていない。しかし彼女はアイドルではなくAV女優となることを自ら選んでいた。
「実は芸能界への憧れと興味があったんです」そう語る希美は高校時代にアイドルにスカウトされたこともあった。進学を優先する母の反対もあり一度は諦めたものの、就職が決まる直前に再びアイドルユニットのオーディションを受けるなど、芸能界への諦めは20歳になるまで心の奥にくすぶり続けていたという。離れて暮らす母親はそんな娘の動向に敏感だった。問い詰めると娘はAVデビューを告白し、母は電話越しに絶句した。そして娘の様子を確かめるべくすぐさま所属事務所とメーカーに足を運んだ。マネージャーやプロデューサー、監督と顔を会わせると希美の母親はこう言った。
「うちの子、迷惑をかけてませんか? この子は何も知らないけれどとにかく頑固なんです、親が言っても言うことを聞かない、やってみたいんだって聞かないんですよ。だから私も反対をしないんですよ」
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