まずは5階のホールへと案内される。エレベーターから降りると、今度は目の前に湘南色の80系車両が! 昭和30年代の横浜駅ホームでの駅弁の立ち売りと、シウマイ娘を模した人形が立っている。立ち売りとは、列車が駅のホームに停車している間にお弁当やお茶を窓越しに売りに来る人のことである。
6年前に初めて熊本の人吉駅で立ち売りに遭遇した時は、うれしくなってつい「栗めし」と「鮎ずし」の2つも駅弁を買ってしまい、食べきれず後悔した。これぞ旅気分を盛り上げてくれるものであるが、列車の高速化や窓が開かない車両が増えたことによって、今では九州地方などにわずかに残っているくらいである。
もっと早く鉄道好きになっていれば、国鉄色の車両に乗り、立ち売りの駅弁を買って…という旅らしい旅ができたのにと思うと、ちょっと残念だ。
ホールに着くと、すでに大勢の見学者が座って待機していた。一人で来ているのは私だけのようだ。周りにはガラスケースに入れられた歴代の「ひょうちゃん」(醤油入れのキャラクター)や、シウマイ弁当の掛け紙などが飾られている。まずはビデオ上映で崎陽軒の歩みや製造工程を知る。
今年「米寿」を迎えたシウマイ
1872年に旧横浜駅~品川駅間に日本最初の鉄道が開業した後、1908年に旧横浜駅(現在の桜木町駅)構内の売店として開業した崎陽軒。創業者はその旧横浜駅の4代目駅長だった。
奇しくも数カ月前、私は桜木町で「鉄道創業の地」の記念碑と、旧横浜駅の駅長室跡というプレートをなんとなく撮影していた。この時はまだ崎陽軒の工場見学に行こうとは思ってもいなかったので、何かの縁を感じる。
その後見学ルートに沿ってガラス越しにシウマイの製造過程を見学する。こちらの工場では1日に約80万個のシウマイが作られているとのこと。グリーンピースが中に練りこまれていたり、干し貝柱を入れたりすることによって、冷めても美味しい味を保っているそうだ。駅弁において「冷めても美味しい」は必須である。
発売以来レシピは変わっておらず、化学調味料や保存料は使用されていない。昔から食べている方に、思い出の味として食べ続けて欲しいという理由から、流行に左右されず同じ味を守り続けてきたそうだ。変わらず支持されているのは、地元を大切にし、全国展開を目指そうとせず、ローカルブランドとして確立してきたからにほかならない。
そしてシウマイは今年で発売から88年、つまり米寿だそうである。そう聞くとシウマイの皮のシワが、なんだか重みを帯びて見える。
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