自主独立の道を貫き通す! 復活を手にしたマルエツ
「嘘つきマルエツ」。3年前のマルエツは、そんな恥ずかしいレッテルを張られていた。
ダイエー再建の行方が国民的関心事となっていた2006年2月期、グループの食品スーパー、マルエツも苦境に立たされていた。競争激化により既存店売り上げが低迷、満を持して実施した60周年催事も無理な安売りを引き起こし、利益率が急速に悪化していた。
ところが、マルエツは間違ったメッセージを発し続けた。決算作業が始まる2月20日を過ぎても、マルエツ首脳は「黒字確保は可能」と社内外に説明。常務会は7人のメンバーのうち5名がダイエーや丸紅などの大株主出身者で連携が悪く、重要情報が首脳らに集中し、業績不振を知らされていない役員もいた。
結局、06年2月期、マルエツは上場来初の営業赤字に転落。翌3月、初の生え抜きトップとして登場したのが、現社長の高橋惠三だった。
社員一人ひとりに送る激励メールが年1万件
社長としての仕事は、銀行へのお詫び行脚で始まった。みずほコーポレート銀行を中心とした100億円のコミットメントライン見直しが迫っており、9月には100億円の社債償還を控えている。そんな逼迫した状況下での営業赤字。資金確保が急務だったのだ。さっそく高橋は保有する東武ストア株式の売却を決定する。連日朝7時からの会議で、高橋の体重は2週間で3キログラム減った。
3月の経営方針説明会。「今は創業以来の危機。この状況はわれわれ自身が作り出したものだ。みんなが当事者。全員でおかしくしたのだから、全員で立て直そう」。集まった社員を前に高橋はそう語りかけた。
ダイエーとのつながりが深まるにつれ、高橋の目にはマルエツが自主性を失いかけていると映っていた。今、再建に必要なのは「心の面でマルエツらしさを取り戻すこと」だ。
まず徹底したのは、開かれた経営。本部長クラス以上が出席する「戦略ミーティング」を新たに設置、弥縫策に終始していた各部門の課題は、大小を問わず徹底的に話し合うようにした。改革をサポートした経営企画本部長の古瀬良多は「情報量はざっと10倍になった。発言しないことが罪悪という雰囲気に変わった」と語る。
開かれた経営は、社員に対しても実行に移された。たとえば、就任以来一貫して続けている「達成メール」。
「予算達成おめでとう! 皆様に心より感謝申し上げます」。予算を達成した店長、精肉・青果など部門主任をたたえる。メールには、長期達成者の発表のほか、月次売上高、粗利益、会社戦略の概要を社長の言葉で記している。