『司法改革の時代』を書いた但木敬一氏(弁護士、前検事総長)に聞く
--司法を取り巻く時代環境が大きく変わったわけですね。
世の中が変わった。腰が抜けるほどびっくりしたことがある。
地下鉄サリン事件が起きて、被害者や遺族の人たちがテレビに出るようになった。そこで言われたのは「裁判は、私たちの気持ちを、まったく酌んでくれていない」。これは刑事司法にとって大ショックだった。
それ以降、テレビはいろんな事件の被害者や遺族の人たちの映像を流した。どの人も刑事手続きはわれわれを無視していると口をそろえる。検察についていえば、伊藤栄樹という検事総長が昔いた。彼は「被害者とともに泣く検察」を標榜し、そうあるべきだとして、僕たちもそれを旗印にしてやってきた。ところが、その被害者が自分たちを無視していると言う。
被害者を置き去りにしているという世論はどんどん強くなり、被害者のための立法は第5次ぐらいまでできた。検察も反省してみると不起訴のときは、ただ不起訴に○印をつけて、あなたの告訴した事件は不起訴と通知するだけだった。いまは理由も告げ、説明もする。
--医療裁判も一時大きな問題になりました。
その頃、東京高検にいたが、福島で産婦人科医訴訟があった。当時、医療訴訟は検察も各地の自由裁量で、最高検に報告は上がっていない。この福島の事件はその間隙で重大な影響を与え、結論は無罪だったが、医者の産科離れが激しく始まる。それに最先端医療の萎縮が起きた。
検察は、国民が安全な医療を受けるためにと考えて起訴しているのに、意図と違う方向に展開する。僕は最高検に移ってから医療事故について全件報告義務を課した。その後、いまもって一件も起訴がない。検察の姿勢はまったく変わった。