「ダメな自分」という呪縛から抜け出す思考法 「どうなりたいか」ではなく「どう在りたいか」
やりたいことも、なりたい自分もわからない…
「自分のために生きればいい」とか、「やりたいことをやればいい」といわれても、戸惑うことはよくよく承知しています。なぜなら私も、多くの時間をその戸惑いに費やしたからです。
自分を見失った大学時代、私はいつもどこか不安定で、人に後れを取らないように、しかし大きくははみ出さないように日々をやりくりしていました。本当はヒザが震えているのに、決してかかとをつけないように爪先立ちで生きていたような、そんな自分が思い出されます。
自信を持つにはきっと、私が私として確固とした感覚を得て、何か大きなことをなさなければならないと信じ込んでいました。なぜなら生き方に迷ったとき、世間では「どうなりたいか」を明確にすることが、最も大事だとされていたからです。
一方で私は「それがわかれば苦労しない」とも薄々感じていました。
いまならわかります。わからなくて当然だったのです。「どうなりたいか」ではなく、「どう在りたいか」がまず大事でした。
私たちにもし万人共通の使命があるとすれば、「この自分で生まれてきたことを最大限に発揮すること」ではないでしょうか。それは人が自分らしく、自分なりのペースで成熟していくことだとも感じます。