何が"去り際の宰相"を突き動かすのか? 石破首相が《復活》に執念を燃やす「ある国会議事録」の正体

退陣を間近に控える石破茂首相。そんな去り際の宰相が、実現に執念を燃やしていることがある。過去に国会の議事録から削除された、ある演説の復活だ。
日本が軍国主義に突き進んでいった1940年、ある衆議院議員が中国との戦争を批判する演説をした。これに軍部が反発、議員は除名されたうえ、演説の大半が議事録から削除された。
この議事録を復活できないか――。自民党幹部に野党との話し合いを始めるよう指示した。全会派が賛成すれば、議事録は復活できるという。石破氏の執念は、はたして実を結ぶのか。
議事録から削除された“演説の主”
演説の大半が議事録から削除された議員は斎藤隆夫(1870~1949年)。兵庫県豊岡市に生まれ、苦学して弁護士になった後、1912年に衆院初当選。立憲国民党や立憲民政党に所属していたリベラル派論客である。
斎藤は1936年、軍部の政治関与を批判する「粛軍演説」を行い、その後、警察や軍部の監視を受けていた。一方で国民の人気は高く、中国との戦争が長引く中で斎藤の国会演説にはいつも注目が集まっていた。
1937年7月には盧溝橋事件が起き、日本と中国との軍事衝突が拡大していく。当時、「支那事変」と呼ばれた日中戦争に対して、国会では政府への追及が続いた。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら