何が"去り際の宰相"を突き動かすのか? 石破首相が《復活》に執念を燃やす「ある国会議事録」の正体

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「内外の政治はことごとく支那事変を中心として動いている。予算でも増税でも、その他あらゆる法律案はいずれも直接間接に事変と関係を持たないものはないでありましょう。支那事変はいかに処理せらるるものであるか、これが相当に分からない間は議会の審議も進めることが出来ないのである」

斎藤演説は、民主主義のルール尊重を説くまっとうな内容であり、過激な表現や誹謗中傷は見当たらない。だが、軍備拡張や国民総動員を進めていた軍部は強く反発。その動きを察知した小山松寿衆院議長は、軍部批判や言論統制に触れた部分、全体の3分の2ほど(約1万字分)を職権で議事録から削除した。斎藤は強く抗議したが、覆ることはなかった。

さらに斎藤に対して除名を求める声が上がり、3月7日の衆院本会議で賛成296票、反対7票で除名が決定した。ただ、斎藤に対する国民の人気は高く、1942年の総選挙で、斎藤は軍部などによる妨害をはねのけて当選。議員の地位を回復した。なお、斎藤は敗戦後の1946年の衆院選(兵庫2区)でトップ当選し、第1次吉田茂内閣で国務大臣として入閣している。

石破首相が「反軍演説」の復活にこだわるワケ

こうした顛末に関心を持ち続けてきたのが石破首相だ。「軍事オタク」で防衛相も経験した石破氏は、兵器に詳しいだけでなく、日本が戦争に突き進んだ歴史にも精通している。

その石破氏の愛読書が『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹著、中公文庫など)だ。官僚や民間企業の精鋭が首相直属の総力戦研究所に集められ、アメリカとの戦争の展開を予測。「敗戦は必至」との結論が出たが、当時の軍部や内閣はその結論を無視して戦争に突入していった経緯を描いたノンフィクションである。斎藤の反軍演説に対する除名処分と議事録削除は、この動きと重なる。

「なぜ日本は無謀な戦争に突き進んだのか」「政治はなぜその動きを止めることができなかったのか」。石破氏は長年、そういう問題意識を持ち続けてきた。そして、今年8月15日の終戦の日に内閣として戦後80年談話を出して戦争に至った経過を本格的に検証し、反省の気持ちを表明しようという思いを抱いていた。

だが、7月の参院選で自民、公明の与党は過半数を割り込む大敗。自民党内の保守派への遠慮もあって、80年談話を閣議決定する余裕はなかった。

その後、自民党内の「石破降ろし」が勢いを増し、石破首相は退陣を表明。後継首相を選ぶための自民党総裁選が繰り広げられている。石破氏としては、10月4日の新総裁決定の後に、戦後80年に関する「個人的見解」を出したい考えだ。

次ページ1年での退陣ににじむ石破首相の後悔
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