その主体性、非認知能力は誰のため?道具として子どもが消費される未来にNO 文科省も方針転換、教育トレンドの"落とし穴"

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私は20年近く、日本におけるオルタナティブ教育の広がりや発展をわりと近いところで見てきました。日本のオルタナティブを牽引してきた人たちは、子どもの権利や民主主義などの価値に立脚して動いてきたと思います。認知度ゼロのところから、試行錯誤しながら現場をつくり、啓発や発信をして裾野を広げてきた方たちのことを心から尊敬しています。

ただ、ここ10年ほどの社会的認知の高まりは、「これからは認知能力より非認知能力だから、オルタナティブ教育がいいよね」「VUCA(不確実な)時代には主体性がないと食っていけないから」「子ども時代にいい教育を受けさせることが生涯賃金を上げる」というような思想や言説が、かなり後押ししたように思うのです。

でも、私の理解では、オルタナティブ教育とはそういうものではありません。既存の構造を問い直し、システムではなく、子ども(人間)を中心に置いて、構築されてきたものです。社会適応ではなく社会創造を目指すものです。

「オルタナティブ教育いいね」という言葉を聞いたとき、その底流にある思想が、競争原理・能力主義なのか、人権・民主主義なのか、私はいつも丁寧に聴き分けたいと思っています。同じように「主体性が大事」「非認知能力が大事」「多様性が大事」という言葉も、慎重に聴くようにしています。そのうえで、連帯することができるのか、対峙して対話する必要があるのかを考えています。

「はやり言葉」の前提や文脈に要注意

主体性も非認知能力も、人が豊かに社会で生活していくうえで重要なものだと思います。しかしこうしたはやり言葉が、どんな前提・文脈で語られ、どう機能していくのかということに、敏感・慎重である必要があるのではないでしょうか。子どもたちがしあわせに育ち、生きられること。平和で公正で民主的な社会と世界をつくっていくこと。軸はそこにあってほしいと私は思います。

「自分の上に矢印がある」学びや暮らしができ、結果として非認知能力と呼ばれるような力が育まれるような環境が、どんな子たちにも保障されるといいなと願っています。

本当は、こうした話をいろんな人がさまざまな場で会話・議論・対話することが、子どもたちが育つ社会環境をつくるうえで一番大事なのかもしれません。ぜひ身近な誰かと「主体性ってなんだと思う?」「非認知能力ってどう思う?」と、話をしてみていただけたら、うれしいなと思います。

(注記のない写真:izolabo / PIXTA)

執筆:学校DE&Iコンサルタント/Demo代表 武田 緑
東洋経済education × ICT編集部

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小学校・中学校・高校・大学等の学校教育に関するニュースや課題のほか連載などを通じて教育現場の今をわかりやすくお伝えします。

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