その主体性、非認知能力は誰のため?道具として子どもが消費される未来にNO 文科省も方針転換、教育トレンドの"落とし穴"
主体は子どもであり、大人ができることは、環境を整えること・関わり方を工夫すること。そこがズレて、非認知能力そのものを目的化するようなことになっては、ろくな結果にならないと思うのです。
非認知能力が子どもの「商品価値」を上げる?
非認知能力については、もう1つ違和感があります。上述した“目的化していることへの違和感”ともつながりますが、子どもをよい「商品」にするための付加価値として認識され、語られているのではないかと感じるのです。
社会経済的地位を高めるために、これまで認知能力(学力)をつけることで戦える子にしていこうとされていたのが、最近は非認知能力に代わってきています。能力主義・競争主義の前提は問い直されないままに、そこで機能する力が、非認知能力に置き換わっただけ。中心にあるのは、子どもの権利や人間の尊厳の尊重、人権や民主主義の観点ではありません。

学校DE&I(多様性・公正・包摂)コンサルタント/Demo代表
学校におけるDE&Iをテーマに、研修・執筆企画、学校現場への伴走サポート、教育運動づくり等に取り組んでいる。フリーランスとしての活動のほか、学校DE&Iの実現のためには現場のエンパワメントが必要との思いから、全国の教職員らと共にNPO法人 School Voice Projectを立ち上げ、理事兼事務局長として活動に従事。著書・共著は『読んで旅する、日本と世界の色とりどりの教育』(教育開発研究所)、『「これくらいできないと困るのはきみだよ?」』(東洋館出版)他。大阪で社会経済的に厳しい環境に置かれる子どもたちが多く通う地域で生まれ育ったという自分のバックグラウンドもあり、若い頃から人権教育や教育格差の問題に関心を寄せてきた。同時に学生時代にフリースクール運動や国内外のオルタナティブ教育に出会う。現在は、公教育(制度内学校)に活動領域を絞り、地域の公立学校が誰も排除しない民主的でインクルーシブな場になってほしいとの思いで、仕事や活動を行っている
(写真:本人提供)
外国の例ですが、コロナ前にタイに行ったときにとても印象的だったことがあります。公立学校はほとんど一斉指導、チョーク&トークの従来型のスタイルなのに対し、教育への関心の高い富裕層は、非常に高い学費を出してモンテッソーリなどのオルタナティブ教育を選んでいたのです。これは、富裕層や教育熱心層ほどオルタナティブ教育や非認知能力獲得に投資する現状への違和感、とも言えます。日本の状況もそれほど変わらない気がしています。