灘中入試問題が示す「灘校が求める生徒像」とは

灘中学校の入試は2日間にわたって実施され、算数は1日目に小問集合形式、2日目に記述式の問題が出題されるのが例年の傾向となっている。同校の入試問題が注目される理由として、河内氏は「1日目の問題はパズル的な要素が強く、問題文も比較的短いため、算数や数学から離れた大人でも『挑戦してみようかな』と気軽に思えるからではないか」との見解を示す。

河内 一樹
河内 一樹(かわち・かずき)
灘中学校・灘高等学校 数学科教諭
自らも灘中高で学び、卒業後は東京大学教養学部理科一類に入学。東京大学教養学部基礎科学科数理科学分科卒業、同大学大学院数理科学研究科博士課程修了。2009年4月より灘中学校・高等学校教諭に就任。著書『灘校現役数学教師と探究する 灘中入試問題』(講談社)では、「楽しい難問」として知られる灘中の入試過去問の解法を解説している
(写真:©霜越春樹)

「教科書レベルの問題では全員が正解してしまい選抜機能が果たせません。また、難しすぎたり時間がかかりすぎたりする問題は、受験生の精神的負担になるため不適切です。そのため、受験生の日頃の学習成果や本来持っている力を測れるような出題を心がけています。灘中入試では社会の試験は実施しませんが、算数の試験で消費税の税率変更に関連する出題がなされたこともあり、このような時事的な要素には『世の中のことに広く関心を持ってほしい』という出題者の意図が反映されています」

スピードと思考力の両方が問われる出題を通して、灘校はどのような生徒を求めているのだろうか。

「灘校が求めるのは、小学校で学ぶ基本的な算数の力を身につけていることを前提として、中学校以降の数学を無理なく学べる基礎力を持った生徒です。また、初めて見る問題に対しても、焦らず冷静に、柔軟な思考で問題を咀嚼して解決に向かう力を備えた生徒に入学してほしいと考えています」

灘中の2012年度の1日目の算数の問題
灘中学校の2012年度入試、算数1日目で出題された問題
(画像:河内氏提供)

高い能力を持つ生徒が入学することを前提に、灘校では中学数学を中2の初め頃までに終え、早い段階で高校数学の学習を始めるカリキュラムを組んでいる。この進度は「一般的な中高一貫校よりも1年近く前倒し」だという。通常なら中1で学ぶ「空間図形」の単元を、中学範囲の平面図形を一通り学んだ後に回し、中3の「三平方の定理と空間図形」の内容とまとめて学ぶといった体系的なカリキュラム編成により、短期間での学習が可能になっているそうだ。

「灘校の生徒たちは入学時点で数学の基礎力が身についているため、彼らが退屈せず、緊張感を持って学べるペースで授業を進めた結果、このような進度になりました。物理を学ぶには微分・積分やベクトルの考え方が重要ですし、化学のpHの計算には対数の概念が必要です。早期に高校数学を学ぶことは、他の科目を学ぶうえでも大きなメリットがあると考えています」

「なぜその答えになるのか」を説明できる力を伸ばす

東京大学大学院で数理科学研究科の博士課程を修了し、母校の数学教師となった河内氏は、算数・数学の魅力を次のように語る。

「算数には『補助線を引くことで答えを導き出せる』といったパズルのような楽しさがあり、好奇心をくすぐる謎解きとしての面白さがあります。これは学問としての数学も同様で、まだ解けていない問題に対して、その謎をいかに解明しようかと挑んでいく楽しさがあるように思います。数学の世界では先人たちが多くの謎を解き明かして、その理論を体系的に整理してくれています。その道を順に進むことで新たな世界の広がりを実感できるのも、数学を学ぶ醍醐味です」

さらに、「数学で使われる言葉は定義が明確なため論理的な説明がしやすく、互いの考えを伝え合うコミュニケーションが取りやすいことも、楽しさにつながる」と河内氏は言う。自分の考えを論理的に伝える力を身につけることは、数学ができるようになるうえでも重要なポイントになるそうだ。

「『数学ができる』とは、知識や経験、思考力を総動員して問題を解けることに加え、自分が出した答えがなぜ正しいのかを順を追って他者に分かりやすく説明できる能力があることだと思います。先人が作り上げてきた学問体系を身につけると、それを踏まえて自分の考えを他者に整然と説明できるようになり、そのような人が『数学ができる』と評価されるのではないでしょうか」

河内氏の授業では、生徒がコミュニケーションの中で自身の考えを説明することを重視し、各自で問題を解いた後、3分間ほど周囲の生徒と互いの考えを共有する時間を設けているという。過去には、数学が苦手な生徒と得意な生徒が意見交換をすることで互いに学びが生まれるように、3人1組でのグループワークを取り入れていたこともあるそうだ。

また、数列の性質を見つける際などに、「具体的な数で考えてから一般化する」ことを重視しているのも河内氏の授業の特色だ。

「算数・数学の学習は、具体的なものを使って考えることから始まり、少しずつ抽象度が上がっていくため、具体と抽象を行き来しながら思考できる力は非常に重要です。私自身、大学で抽象的な理論の学習から入り、自分が何をしようとしているのかを見失いかけたことがありました。その経験から、授業では具体的なイメージを持った状態で抽象的な理論に入っていけるようにすることを心がけています」

単元同士のつながりを意識させる工夫を

河内氏は「公式の丸暗記ではなく、いろいろなことを総合的に学べるように」という考えに基づき、授業ではさまざまな工夫をしているという。

「例えば、三平方の定理を教える際は、1時間かけて複数の証明方法をじっくり紹介します。さらに、定理が導き出されるまでの歴史的なエピソードや、その定理がどのような場面で使われているかも説明しています」

灘校では、通常の授業とは別に、希望者が探究的な学びに取り組む土曜講座も実施。定規とコンパスだけでは作図が不可能な「角の三等分問題」にグループで取り組み、折り紙を折ることで解決の糸口を見出して証明につなげていくという実践も行っている。

授業を行ううえで河内氏が特に意識しているのが、単元同士の「つながり」だ。

「三平方の定理を学ぶと、それを応用することで、内角が15度・75度・90度の直角三角形の三辺の長さの比を求めることができます。さらに、もう少し進んで三角関数の概念を使うと、加法定理を用いて答えを簡単に導き出すこともできるようになります。

数学の世界には『関係なく見えるものが実はつながっている』ということがしばしばあります。ネットワークがあるので、授業の中で『前に勉強したことを振り返ってみよう』『実はあのときの計算を一般化したものを僕たちは今の単元で勉強しているんだよ』という振り返りを行い、学んでいることの全体像が分かるようにしています」

授業を円滑に進めるため、河内氏は単元ごとにオリジナルの教材冊子を作成している。その内容は、教科書に載っている例題の解答・解説をあえて省略し、定理や公式の発見にまつわるエピソードなどを加え、教科書の章末問題を例題や練習問題として掲載したものだという。

河内一樹氏のテキスト
河内一樹氏のテキスト
河内一樹氏のオリジナルテキストの一部
(画像:河内氏提供)

冊子に沿って新出事項の理解を進める際には予習を課さないが、ある程度学習が進んで演習を行う段階になれば、生徒はこの冊子で予習を行い、授業で答え合わせをする。なお予習の際は、副教材の総合参考書などを見てもよく、取り組み方は生徒に一任しているそうだ。

また、中学生を中心に、毎回の授業に対応する形で30分から1時間程度で取り組める宿題を出し、確認テストを授業内に実施。数学が苦手な生徒に対しては、「他教科の教員とも情報を共有し、家庭での学習環境などの本人が抱えている困りごとを把握して、根本的な解決策を考えていく」とのこと。授業に集中できていない生徒には、授業後に個別に声をかけているという。

「数学の勉強では『分からないことを放置しない』ことが最も重要です。つまずいている生徒は、何が分かっていて何が分かっていないのかを自覚できていないことが多いので、まずはそれを自覚できるように導くことが教員の役割です。宿題についても、ただ答えを書き写すだけでなく、答えを見て解き直した後に5分ぐらい経ってからそれを再現できるかを確かめる、なぜこの問題が解けないのかを自分の言葉で説明できるようにするといった取り組み方まで含めた指導が必要になります」

一方で、数学が得意な生徒にも、正解した問題について「別解はないか」「もっと工夫して解けたのではないか」と分析させて、思考を言語化させることがさらなる数学力の向上につながっていくという。

なお、灘校では数学好きな生徒が多いため、数学ばかり勉強して他教科の学習を後回しにすることがないよう、課題を与える際は「最低限やってほしいこと」と「他教科の勉強を終えて余裕があれば挑戦してほしいこと」の線引きを明確に示すことも意識しているそうだ。

保護者は中学受験の算数を教えない方がよい

7歳と5歳の子どもの父親でもある河内氏は、家庭では日常生活の出来事を算数に結びつけて問いかけることを心がけているという。

「先日、割り算の学習を始めた長男の様子を見ていた次男が、晩ごはんのときに唐突に『3÷5』と言い出したことがありました。『3÷5って何のこと?』と尋ねてみても、よく分かっていないようだったので、そのときは『丸いケーキ3個を5人で分けるにはどうすればいいかな?』『3リットルのジュースを5人で分けるには?』といった声かけをしました。こう問いかけることで、子どもは割り算や分数についてさらに考えるようになります」

なお、中学受験の算数を保護者が子どもに直接教えることは、「あまりお勧めできない」とのこと。「塾などの指導者に一任した方がよい」というのが河内氏の考えだ。

「保護者の方が塾の指導法と異なる解き方を教えると、子どもが混乱する可能性があります。どうしても保護者が勉強を見る必要がある場合は、どこまで理解できているのかを聞く『聞き役』に徹し、子どもが自力で解決策に気づけるよう状況を整理していくのがよいと思います」

灘中学校のような難関校を受験する場合、小学生のうちから方程式などの数学的な解き方を身につけておくべきなのかは気になるところだが、河内氏は「必ずしもその必要はない」と話す。

「中学入試の問題は、小学校で習う範囲の考え方で解けるように作られています。子ども自身が方程式の考え方を理解して使いこなせるのであれば、方程式を使ってもよいのですが、入試のために無理に教え込む必要はありません。大切なのは、本人の理解度に合わせて、適切な方法で考える力を伸ばしていくことです。灘中を志望するからといって『方程式もマスターしておかないといけない』と押し付けることは、逆効果になりかねません」

中学以降の数学の考え方を小学生に伝えるには、数学の言葉遣いを算数の言葉に翻訳して説明するのが1つの方法で、河内氏は著書『灘校現役数学教師と探究する 灘中入試問題』の中で、「鶴亀算」を算数と数学のそれぞれの立場から解説する例などを扱っている。同書を読んだ数学の教員からは「自分の授業でも活用したい」との感想が寄せられたという。

灘校現役数学教師と探究する 灘中入試問題
『灘校現役数学教師と探究する 灘中入試問題』より
(画像:講談社提供)

「中学入試の算数の問題には、数学の本質的な美しさや面白さを感じられる良問がたくさんあります。中学・高校の教員の方はもちろん、しばらく数学から離れている方にも、問題をただ解くだけでなく、その背景にある数学の奥深い世界の魅力を発見していただけたらと思います」

(文:安永美穂、注記のない写真:ましゃいこ / PIXTA)