13年ぶりに"反省"に言及した石破首相、「戦後80年」で問われる日本の針路と《9月大政局》の行方
歴史をひも解くと、1994年の首相式辞では村山富市氏が「深い反省」を表明し、この後の歴代首相も同様に「反省」に言及してきた。一方、安倍晋三氏は第1次政権の2007年には「反省」の表現を用いたが、第2次政権発足後の2013年以降の式辞では「反省」という文言を避け続けた。
併せて安倍氏は、今回と同様の大きな節目に当たって閣議決定した「戦後70年談話」において、「戦後50年談話」にある「お詫び」「侵略」「植民地支配」の文言を盛り込みながらも、日本の行為としては限定しない間接的な表現にとどめた。
そのうえで、1931年の満州事変以降の日本の歩みを「進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました」と明記し、「子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」として、いわゆる「謝罪外交」に区切りつけようとした。
節目の「首相見解」には保守派が慎重論
対して石破首相はこれまで、閣議決定を伴う「首相談話」ではなく、戦争の検証を柱とする「見解」の公表に意欲を示してきた。だが、戦後80年の節目に合わせた「見解」公表は「準備が間に合わなかった」(官邸筋)との理由で見送ったとされる。
この点についても、石破首相は記者団の取材に「戦後80年のメッセージのあり方について現時点で決まっているものでない」と説明するとともに、その内容に関しても「今までの談話の積み重ねも踏まえながら、適切に判断する」と述べるにとどめた。
そもそも、国際社会でも注目されている「戦後80年首相見解」については、かねて自民党を含むいわゆる保守派勢力を中心に、強い慎重論が出ていた。このため、政府・与党内でも「石破首相も『見解』で歴史認識に踏み込むことは避ける」(首相周辺)との見方が多い。
林芳正官房長官は15日の記者会見で、「歴代内閣の立場を全体として引き継いでおり、今後も引き継いでいく」と述べるにとどめた。
そうした中で注目されたのが、与野党政治家の靖国神社参拝の有無や言動だ。石破首相は追悼式に先立ち、都内の千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れて献花する一方、靖国参拝は見送り、玉串料を納めることにとどめた。
これに対し、現職閣僚である小泉進次郎農水相は午前8時前、靖国神社を参拝した。2024年10月の石破内閣発足後、閣僚の参拝が確認されたのは初めてとなる。
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