軍隊の名残りも…「体育ぎらい」の理由、教科としての本質を見直すとき 体育座りは体に悪い?劣等感を感じた子も
スポーツの技術に偏りすぎた学校体育の状況を反省したのか、日本では、1998年からそれまでの「体操」領域が「体つくり運動」に変更され、そこでは「体ほぐし運動」が取り入れられるようになりました。
これは「自分や他者のからだへの気づき」などを大切にし、自分1人で、あるいは友達と関わりながらストレッチなどを含めた多様な運動を実践するものです。競争的な要素ではなく、1人ひとりのからだのあり方や感じ方が大切にされるという点で、体育の本質に則った取り組みだといえます。しかし残念ながら、多くの学校では、単なる「準備運動」として扱われており、その目的は十分に達成されていないのが現状だといえます。
――先生は、大学の体育で「寝方の授業」を行っているそうですね。
私が実践した体育の授業では「からだの力を抜く運動」の1つとして「寝方」を取り入れました。もちろん、ただ居眠りをして授業の時間を過ごすのではなく、自分のからだの状態に注意を向けながら、どのようなからだの居方(いかた)であればリラックスした状態をつくることができるのかを考え、実践してもらいます。
もちろん、このような授業を小学生に向けて行うことは難しいと思います。個人的には、高校生や大学生であれば、自分のからだの状態を知り、改めて考えるよい機会になり、社会に出てからも役立つと思っています。
大きな枠組みとしてとらえると、小学校低学年などでは、現在の運動遊びを通してからだを動かす楽しさを実感することに重きをおき、そこから学年が上がるごとに、徐々に自分のからだに意識を向け、からだについて深く理解することに進んでいくようなイメージを持っています。
このように子どもの年齢に応じてからだの学び方を変えていくことで、好き嫌いにかかわらず、自分のからだの変化や特徴を理解できるようになるのではないでしょうか。
体育が嫌いでも自分のからだを嫌いにならないために
――ウェルビーイング、多様性の時代に求められる体育のあり方とは。
ウェルビーイングや多様性は、最近になってよく聞かれるようになった言葉です。しかし、これまでもそれらの内容について、多くの先生方は自覚せずともやってきたのではないでしょうか。
つまり、子どもたちには得意不得意や特徴があることを認識し、そのうえで1人ひとりの子どもたちが幸せになることを望みながら授業を行ってきたのではないかということです。そうだとすれば、ウェルビーイングや多様性という言葉で意図されているのは、これからもそうしたスタンスで取り組むことが求められているということなのだと思います。
多様性については、例えば中学校の体育は、2021年の学習指導要領改訂により、原則的に男女共習となりました。体育の授業を男女別に行うのは、スポーツの技能向上を目指す「競技の論理」に基づいた考え方です。しかし、先ほども述べたように、体育の授業は必ずしもスポーツの技術だけを教える場ではありません。
大切なことは、子どもたちがその授業で何を学び、彼らに何を身につけてほしいかを、私たち教師がもっと自由に発想、探究することかもしれません。すべての体育の授業を共習にする必要はありませんが、お互いに他者を尊重して協力し合ったり、多様なからだの動きを通して自己と他者への理解を深めたりする意味でも、男女共習は積極的に取り入れられるべきだと思っています。
――子どもたちが、体育が嫌いでも自分のからだを嫌いにならないために、教員は何を示すべきでしょうか?
体育が好きかどうかは、子どもたちそれぞれの感じ方であり、それを否定する必要はありません。
ただし、体育の授業を通して学ぶべきことは、それとは関係なく確実に存在します。私たち教師が、これまでお話ししたような「からだ」という視点から体育の大切さをしっかりと理解し、それを子どもたちに伝え、子どもたちと共通の認識を持つことができれば、体育が嫌いな子は減らないかもしれませんが、自分のからだを嫌いになる子は減らすことはできるはずです。
そのためにも大切なことは、「からだ」についての見方を、私たち自身が豊かにしていくことだと思います。みんな、その「からだ」で生きているわけですから。
(注記のない写真:Fast&Slow / PIXTA)
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