[反対派]学校間・地域間の格差が大きく、公平ではない

共通テストに「情報Ⅰ」を追加することは「拙速」と主張しているのは、「入試改革を考える会」。同会は2019年10月に結成され、当初予定されていた英語民間試験の導入など共通テストの問題点を指摘してきた。なぜ「拙速」なのか。代表の大内裕和武蔵大学教授に聞いた。

――なぜ「情報Ⅰ」の追加は「拙速」なのでしょうか。

まず、教育体制が整っていません。文部科学省の調査では、2022年5月の時点で情報科の担当教員のうち、正規免許を持たない公立高校の教員が16.3%でした。2023年には、この割合が4.4%まで減りましたが、資格を持たない教員に教えられる生徒はまだいます。学校間、地域間の教育格差が大きく、まったく公平な状態ではありません。

大内裕和(おおうち・ひろかず) 「入試改革を考える会」代表
武蔵大学教授
1967年神奈川県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程を経て、2022年より現職。専門は教育社会学。主な著書に『教育・権力・社会』『なぜ日本の教育は迷走するのか』(以上、青土社)、『ブラックバイトに騙されるな!』(集英社クリエイティブ)などがある
(写真:本人提供)

共通テストは日本全国でやるのですから、北海道から沖縄まで教育体制を整えてからやるべきです。だから私たちは「拙速」だと訴えています。

――「情報」の正規免許を持つ教員がすべての高校に配置されれば、共通テストに追加すべきでしょうか。

それが共通テストに追加するうえでの最低ラインですが、私は2つの理由から、共通テストへの追加は望ましくないと思っています。1つは、科目数の多さです。従来の5教科7科目でも大変なのに、今年からは6教科8科目が基本となります。

これは、明らかに過大な負担です。やるべきことが多くなると、1つひとつの科目の学習にじっくり時間をかけられず、表面的な理解や暗記になりがちです。他科目、とりわけ大学での学習の基礎となる国語や数学、英語の学力に悪影響を与える可能性は否定できないと考えます。

もう1つは、果たして大学での学びで要求されるレベルの問題が出題できるのかということです。大学入試は、入学後に必要な学力を持っているかを選抜する試験です。しかし、試作問題を見た限り(編注:取材は共通テスト前に実施)、応用性や発展性に乏しく、社会生活上の常識を問う問題が多く出題されています。

それは無理もないんです。なぜならば、「情報Ⅰ」は基本的に高校1年生で学ぶ教科です。すなわち、その予備知識は義務教育である中学で得るものを前提としています。内容の多くは社会生活上の常識レベルであって、大学での高度な研究に求められる水準ではありません。

大学入試と情報リテラシーの涵養は切り分けるべき

――「情報」を学ぶことの重要性と、「情報Ⅰ」を共通テストに追加することの意味は異なるということでしょうか。

そうです。私たちが「拙速」と訴えることに対し、「情報教育の重要性がわかっていない」「情報社会に後ろ向きだ」という声もありますが、そうではありません。私たちが批判しているのは共通テストへの追加であって、情報教育そのものは重要だと考えています。

むしろ情報教育の重要性を考えれば、共通テストに追加するよりも、共通テストを受けない人、大学に進学しない人も含め、すべての生徒に必要な情報リテラシーの育成に力を注ぐべきではないでしょうか。そのためにはまず、教育体制を整えるべきだと思います。

「入試改革を考える会」には、「情報Ⅰを担当したが、教科書を終わらせることができなかった」「中堅以上の進学校だが情報教育は非常勤講師に丸投げで、うまくいっていない」といった声も届いています。

それに、大学で教えている立場から申し上げると、国語と数学の学力水準の低下のほうに危機感を覚えます。専門教育のベースとなる国語ができないと話になりませんし、情報化社会だからこそ数学の水準を上げるべきでしょう。

――共通テストへ「情報」を追加することで、教育体制の整備が促進されるという意見もありますが、それに対してはいかがでしょうか。

たしかに、共通テストに追加することで情報教育が活性化する効果もあるかもしれません。でも、そのために受験生に不公平を強いるのは違うでしょう。大学入試を公平・公正に実施するという原則から、それはおかしいと考えます。

――社会がデジタル化して急速に変わっている今、共通テストも変わらなければならないという意見もあります。

共通テストはどういうテストであるべきかを考えると、シンプルに「高校での学習内容を理解できているか否かを客観的に判定する試験」だと思います。それが大学で学ぶ基礎になります。社会側からの要求をそのまま共通テストに反映しなければならない、とは思いません。社会からの要求に応えるためには、大学や大学院での情報教育や研究を充実させて優秀な専門家を増やすべきです。

[賛成派]社会が変わる中、学び方が変わらないほうが不自然

共通テストに「情報」を追加することの意義を発信しているのは、情報教育にまつわるさまざまな格差に取り組むNPO法人みんなのコード。未来の学び探究部 講師・研究開発担当で、長年公立高校で情報教育に携わってきた永野直氏に、「拙速な導入に反対」という意見に対する考えや、今年の共通テストで出題された問題(編注:取材は共通テスト後に実施)に対する所感を聞いた。

――共通テストに「情報」が追加されたことについて、どのようにお考えですか。

今は、予測不能で変化の激しい時代。教えられたことを暗記するだけでは社会に対応できなくなってきています。共通テストに限らず、2020年代に改訂された学習指導要領にも盛り込まれている部分ですが、自分で問題を発見して解決する力が必要不可欠になっています。

テクノロジーを活用して他者と協働しつつ、未知の問題に立ち向かう。こうした資質・能力を養うのが「情報」という科目です。共通テストに原則必須科目として追加されたということは、学部関係なく、大学で学ぶすべての人にとって必要だ、というメッセージだと考えています。

――他方で、教育体制が整っていないことを理由に「拙速」だという意見もあります。

教育体制に課題があるのはたしかです。まず、「情報Ⅰ」は必履修科目とはいえ2単位のみで、多くの学校で高校1年次に履修しています。2単位だけでは、本当に大事なことだけしか扱えないという教員の声もよく耳にします。

永野直(ながの・なおし)
NPO法人みんなのコード 未来の学び探究部 講師・研究開発担当
元千葉県公立高等学校情報科教員。2003年に高等学校教科「情報」が新設されてから、約20年間にわたり情報科の授業を担当。2011年には千葉県立袖ヶ浦高等学校に「情報コミュニケーション科」を新設し、公立高等学校として国内で初めて生徒1人1台の自己所有タブレット環境を実現。千葉県総合教育センター研究指導主事を経て、2021年より現職。宮城教育大学非常勤講師も務める
(写真:本人提供)

また、今は小学校でもプログラミング教育が実施されていますが、1つの科目としてあるのではなく、各教科で分散して扱うことになっています。しかし学校によってばらつきも大きく、小中高を通じて体系的・継続的に情報について学ぶ体制が必要だというのは、私たちみんなのコードでも提言しているところです。

そうやって情報教育を充実させることを考えると、現時点でも教員が足りていないという問題に突き当たります。しかし「情報教育の重要性」と「必要な体制の整備」は「鶏が先か、卵が先か」で、できないからまだやらなくていいというわけにもいかないと思うのです。

「拙速」という意見も理解できますが、社会の変化は待ってくれません。例えば生成AIが急速に普及して、すでに働き方や学び方が大きく変わってきているわけで、情報教育を充実させる取り組みは今でも遅いくらいです。

――ある種の痛みを覚悟する必要があるということでしょうか。

何でもそういう面はあると思います。高校で「情報」科目ができたときも教員の不足どころか全国に1人も情報の教員はいなかったわけで、非常に大変でしたし、ICT活用やGIGAスクール構想もそうでした。「変えなくてもいいじゃないか」という感覚もあると思いますが、社会が変わる中で、学ぶ内容や学び方が何十年も変わらないほうが不自然です。教育は、理想をかざしてそこにどれだけ近づいていくかが重要だと思います。

入試に影響しない科目は軽視されてしまう?

――情報教育の充実という点で気になるのは、「情報」は2003年に必履修科目になって20年以上が経つということです。教育体制が整っていないとすれば、共通テストの科目ではなかったことで、軽んじられている部分はあったのではという想像もしてしまいます。

正直、その傾向はありました。大学入試に直接関係がないという理由で、専任の情報教員を採用していない高校もありましたし、「◯◯先生はパソコン得意だから、情報の授業もやってください」とか「非常勤の先生に適当にやってもらえばいい」といった風潮もなかったとはいえません。なんとかごまかしてやっていても、入試に影響しないからいいという話です。

卒業に必要な必履修科目を履修させていない未履修の問題が起きたのも、そういう風潮が背景にあったからです。共通テストに追加されたことで、それではダメなんだという認識が現場に広がったことは事実としてあったと思います。

――すると、共通テストへの追加が決まってから、現場の雰囲気も変わったのでしょうか。

大きく変わりました。「きちんとやらなければまずい」という機運は着実に高まっています。一方で、共通テストはマークシート方式なので、知識偏重になるのではないかという懸念も少なからずあったと思います。実は、私もはじめは共通テストへの導入に懐疑的でした。

主体性をもって探究的かつ実践的に学ぶ情報教育の本質と、マークシート方式の試験との親和性は低いのではないかと思っていたんです。ただ、サンプル問題や試作問題を見て考えが変わりました。詰め込んだ知識だけで答えられる問題はなく、与えられた資料で何を実現すべきか、読み解いて考えないと答えられない問題で、かなり工夫されていると感じたんです。この印象は、実際に共通テストで出題された問題を見ても変わっていません。知識のみで答えられる設問が3つほどありましたが、全体的には思考力を問う試作問題と同様の傾向でした。

「言語能力」「問題発見・解決能力」「情報活用能力」は、学習の基盤としての資質・能力とされています。どの教科でもこれらの力が必要ですが、情報はとりわけさまざまな学問に関連する科目ですので、広く社会と関連した実践的な学びができます。実際の問題も、社会と関連したテーマになっていましたし、普段使っている技術やサービスが、情報と深く関わっていることを感じられる良問だったと思います。

[両者の意見をふまえて]受験生が被る「痛み」はできるだけ少なく

情報教育の必要性と、共通テストで「情報Ⅰ」を課すべきかどうかは、分けて考えなければならない。前者は、取材した両者ともに認めるものだった。後者について、大内教授の「教育体制が整っていない今は拙速/受験生に不公平を強いるのは違う」という主張は簡単に否定できるものではない。一方で長く教鞭を取ってきた永野氏の「試験に課されない科目はおざなりになってしまう」という指摘もうなずける。

すでに「情報Ⅰ」が共通テストに課されている以上、一刻も早く教育体制を整え、地域間や学校間で差が生まれないことが急務だろう。変化に伴う「痛み」が生じるのはどうしようもないが、それを被るのは受験する生徒だ。

大内教授の「社会側からの要求をそのまま共通テストに反映しなければならない、とは思わない」という意見は鋭い。情報教育が重要なのであれば、教育現場への「劇薬」のごとく共通テストに科目を追加する以外の方法――例えば、みんなのコードが提言するように、小中高を通じて体系的なカリキュラムを整備するなど――も考えられたはずだ。

とはいえ、「社会が求めるから」とあれもこれもと課程に詰め込むばかりでは教員も生徒も持たない。何か増やすのなら、何かを減らすという取捨選択の発想も必要なのではないだろうか。

(文:高橋秀和、企画・編集:晏 暁丹、注記のない写真:ダイ / PIXTA)