それでも「君が代」が国歌であり続ける理由 近代日本を象徴する不思議な歌

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『古今和歌集』に載っているといっても、決して古臭いわけではない。君というのは天皇だけでなく、将軍という意味や、目の前のあなたという意味でも1000年ぐらいの間に使われ、その人が「千代に八千代に」健康で長寿であるようにとの祝いの歌として使われてきた。歌詞が物語や戯作の中に取り込まれ、江戸時代にはポピュラーソングだった歴史さえある。諸外国でも君主国は皆、国王万歳という国歌を作っている。君を天皇ととらえれば、これはちょうどいいとなったようだ。

近代日本のいいところ、悪いところも象徴

──国旗国歌法では作曲者が林広守となっています。

奥が中心になって作ったがたくさんの人がかかわっている。ドイツ人のお雇い軍楽教師・エッケルトは外せないし、奥は林広季(ひろすえ)と一緒に作ったという説もある。林広守は直接には作ってはいなくて雅楽チームの代表者名義みたいなものだ。

──いつ国歌に。

海軍が宮内省を巻き込んで決めたといっていい。ほかの役所や政府として承認していたわけではない。陸軍は「扶桑」を、文部省は別の「国歌按」を考えて、「君が代」に対抗し始める。ところが、ほかの曲は出来が悪い。詞は長いし、メロディもなじみにくく、「君が代」に勝てない。「君が代」の歌詞は歌い継がれてきたほどだから、よくできている。現代からすると変だといわれるが、メロディも一度英国人が作曲したものを日本人に加えドイツ人も直してハイブリッドに修正されている。ぽっと出のものより当然出来がいい。

1999年に国旗国歌法ができるまで、法律では多くの国と同様に国歌を定めていない。学校で教える機会があって定着した。天長節をはじめ祝日大祭日の儀式用唱歌として子どもたちが歌う。祝日に歌われていたことで、国歌の資格が定まった。レコードもラジオもない時代だけに、重要なポイントであり、そこに「君が代」が入り込めた。文部省も自分たちの曲は出来が悪いとわかってあきらめた。文部省が受け入れた時点で、デファクトとしての国歌になった。もともと西洋では事実上の国歌というのが普通であり、法律で定めるのは珍しい。

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