日本人学者、台湾で「選挙の神様」になった理由 台湾で最も有名な日本人研究者の軌跡(前編)

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ただ、台湾のほうに時間をとられるようになるとイギリスについて研究して論文を書くことができなくなりました。結局、いつの間にかイギリスをあきらめていたという形です。

35歳から子どもたちと一緒に中国語の学習

――もともと本気で台湾に取り組むつもりがなかったのに、35歳から中国語という外国語の習得に取り組まれたのはなぜでしょうか。

イギリス研究をやっていて、現地に3回留学していた経験から、語学ができないと話にならないとは思っていたので、台湾を少しかじるだけでも中国語はやっておこうと思いました。学生・院生の時の指導教授の影響もあります。

イギリスの社会思想を専門にしていた都築忠七先生(当時一橋大学教授、2020年逝去)に師事しました。戦後すぐにオックスフォード大学に留学して博士号をとり、オックスフォード大学出版から4冊も本を出版しているすごい人です。当時は欧米が専門でも、日本語の翻訳文献を読んで日本語で論文を書き、日本でだけ通用する議論をする研究者も多く、外国語能力も原書を読む程度で英語など現地の言葉で発信できる研究者はそう多くありませんでした。

小笠原欣幸
おがさわら・よしゆき/1981年一橋大学社会学部卒業。1986年、一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了(社会学博士)。東京外国語大学外国語学部専任講師、同大大学院総合国際学研究院教授などを経て、2023年に同大名誉教授。2024年から台湾・清華大学栄誉講座教授。主著に『台湾総統選挙』(晃洋書房、2019年)

今でこそ地域研究という概念も広がり、実際に現地の言語で現地の学者と対等に議論したり、向こう側が日本での研究動向に関心をもってくれたりすることが一般的になりました。が、私が学生だった時(1970年代後半)はそのようなことがまだ珍しく、都築先生のようにイギリスでも評価される研究者もあまりいませんでした。先生は私にとって研究者のロールモデルといえます。

とはいえ、中国語はまったくの初心者でした。一応、台湾に行く前に勉強しておこうと中国語の入門書を買って準備したものの、間に合うはずもありません。台湾の大学が設置している語学センターに入るだけの実力もなかったので、子ども向けの新聞『国語日報』を発行している語学センターに通うところから始めました。主に海外華僑の子どもたちが中国語を勉強するところで、華僑の小中高校生らと一緒に大きな漢字のテキストで学びました。

半年ほど経つと滞在していた台北の政治大学の講義を聴講するようになりました。政治経済の授業を受けましたが、自分の専門分野なので文脈がわかり、ある程度ついていけました。そういうとっかかりがあったので、中国語の学習はだんだんはかどるようになり、今では中国語で授業をすることができるまでになりました。

――しかし、台湾政治研究を始めてから成果となる単著を出せたのは2019年と四半世紀近くかかりました。

台湾研究に本腰を入れれば最初は2~3年で成果を出せると甘く考えていて、ここまで苦労するとは思いませんでした。論文発表や学会での報告など下積みが必要で、1冊の本としてまとめるのには本当に長い時間がかかりました。

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