ところが、台湾に実際に行ってみたらそんな甘い考え方が通じないとわかり、どつぼにはまりました。初めて台湾に行ったのは1994年でそのまま1年滞在しました。その年は台北市長選挙が行われました。今振り返っても、この選挙は台湾政治史上1、2を争う激しい選挙でしたが、台湾の選挙の奥深さとその壁にぶち当たってしまいました。
イギリスの人たちも政治の議論をしますが、どこか飾られていて、理論重視のよそ行き風の議論です。ところが台湾は、恥も外聞も捨てすべてをさらけ出して議論されていたのです。誰が好きで誰が嫌いか、本能的に信用できるかできないかなど感情をむき出しにしてぶつけ合って必死に選挙を戦う社会構造に引き込まれました。
当時の台湾社会は、まだ本省人(日本統治時代から台湾に住んでいた人たち)と外省人(第2次大戦後に中国大陸から台湾に移住した人たち)との間に深い対立意識が残っていました。お互いのアイデンティティをもとにぶつかり合う選挙だったので、なおのこと激しい選挙だったのです。
ただ、そこにも台湾の民主主義の魅力がありました。これほど激しい対立があると、他の国では選挙結果を認めずに流血につながったり、多数派が少数派を弾圧して民主化が頓挫したりするケースも多くあります。
でも台湾は違った。いかに信用できない人が隣り合わせで住んでいても、選挙で意思表明し、その結果を受け入れ、少数派を尊重しています。これは研究の価値があるなと感じました。
台湾についてほとんど何も知らなかった
このような台湾の選挙や政治の深さがわかってくればくるほど、最初にさらっと論文を書ければいいやと思っていたことが恥ずかしくなってきました。
――台湾に行くまでは、台湾社会における対立や中華民国体制のもつ矛盾など歴史的背景をあまり理解されていなかったのですか。
今だから話せますが、台湾についてほとんど何も知らずに行ってしまったのです。日本の報道を通して李登輝総統という人物が出てきて、民主化が始まったというのを知っていた程度です。それこそ南アフリカのマンデラ大統領と同じような人が台湾にも出てきたくらいの認識です。よくそれで台湾で論文を書こうと考えたなと思います(笑)。
――逆にイギリス政治研究をやめる決意もしたのでしょうか。
そうではありませんでした。すでに10年以上イギリスを研究して、イギリス政治で単著や翻訳も複数出していたので、やめるのはもったいないと思っていましたし、やめることによるキャリア上のリスクもありました。
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