子どもの部活やスポーツはどこまで頑張らせる? 「勝利至上主義」の世界で生きる子を支えるには
レジリエンスにおいて、打たれ強さは「抵抗」です。どんなつらいことにも耐え続けなければいけならず、折れてしまったら捨てられるような世界を想像してしまいます。現在のスポーツ界では「抵抗」が求められがちですが、私は「再構成」が大切だと感じます。木に例えると、たとえ折れたとしても、それを糧にして新たな形でさらに大きくなり、花を咲かせることができたとしたら、それこそが強さではないでしょうか。
教育本には「ほめて伸ばしましょう」と書かれますが、やや違和感があります。「ほめる」より「認める」がしっくりくると思うのです。「ほめる」は、親が設定した暗黙の目標に到達すれば合格というイメージ。一方で「認める」には、子ども自身が考えてやり切るイメージがあり、子どもの主体性を感じます。お子さんのことを認めながら、背中を押してほしいです。
実は子どもは、見えないところでちゃんと動いている
──親からの相談には、どのようなものがありますか。
こんな相談を受けたことがあります。
恐らくこの親は“できる人”で、次にすべき行動にすぐ気づいてしまうのだと思います。そして子どもへの期待が高いからこそ、親自身が思う「こうあってほしい」を望むのでしょう。
質問に対して私は、「実は、見えないところでやっているのではないでしょうか」と回答しました。子ども自身が必要だと思う場面ではちゃんと動いているはずで、その主体的に動いた部分に価値があると思います。なかなか時間が取れないですが、本来であれば、子どもが自ら取った行動の意図を、落ちついて聞いて理解してあげたいところです。
実はこれはスポーツでも同じです。試合で指導者のサインプレーに背いたら、ほとんどの場合は叱られるでしょう。しかしここで、自分で判断して動いた理由をしっかり聞けば、その子の個性がよくわかります。子ども自身を認めてそのプロセスをも認めることで、子どもの主体性が育まれるのではないかと常々思うのです。
企業では、学生時代に運動部で活躍した人を好んで採用する傾向があります。上位下達や絶対服従の世界でやってきた人が出世していくとなれば、いつまでも価値観は変わらないでしょう。これがいろいろな企業で、しかも大企業で起きると、社会や日本の価値観にもなっていきます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら