「ハチロク」大正から令和まで活躍したSLの記憶 花輪線や五能線での現役時代、「SL人吉」の勇姿
筆者がハチロクを追って初めて訪れたのが花輪線である。同線では、安比高原を越える急勾配区間をハチロクの3重連が貨物列車を牽引して力闘していた。まだ若かった筆者はその迫力ある姿に圧倒されてシャッターチャンスを逃し失敗した苦い思い出がある。
東北地方では、五能線で活躍していたハチロクがよく知られていた。筆者は1972年5月に初めて五能線を訪れ、鰺ケ沢近郊でハチロクの牽く貨客混合列車を撮影してカメラ雑誌の口絵を飾った。
当時の五能線は観光客や「乗り鉄」の姿はほぼ皆無で、秘境然としたローカル線だったが、ここを一躍有名にしたのは「男はつらいよ 純情編」(第6作・1971年山田洋次監督)でのロケだった。SLファンでもある山田洋次監督が五能線に目を向けたのは当然のことだったかもしれない。
五能線でのハチロク遭難
筆者はこの五能線で壮絶な体験をしている。それは1972年12月2日の早朝のことだった。前日から日本海に発達した低気圧が接近して、深浦港近くの宿では潮騒が窓を打ち鳴らす音でまんじりともせずに夜明けを迎えた。
目が覚めたときは午前6時を回っていた。ハチロクが牽く5時55分発の始発1725列車に乗るはずだったが寝過ごしたのだ。次のディーゼル列車で行くことにして深浦駅に向かったところ駅が騒々しい。定時に出た1725列車が有人駅の追良瀬駅に到着していないという。
そして悲報が届いた。1725列車は広戸駅付近で波にさらわれて脱線転覆したというのだ。正確には大波で路盤が洗われて線路が宙に浮いたところへ列車が突っ込み、そのまま海中に没した、というのだ。
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