大谷翔平がプロ野球界を「アルハラ」から解放 "豪快な酒飲み選手がかっこいい"は時代錯誤?

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さらには、こんなこともあったという。

「地元出身で高卒のドラフト1位の選手が入団したんです。長距離砲としての素質は目を見張るものがあって絶対に強打者になると思ったけど、毎晩、繁華街を連れ回されてアルコール中毒になってね。伸び悩んで数年後に他球団にトレードされたけどもったいなかった。高校を出て右も左もわからないなかで酒に人生を翻弄(ほんろう)されて……。彼もアルハラの犠牲者だと思う」

昭和から平成と歴史を重ねると、科学的トレーニングが導入され、深酒が身体に与えるダメージが問題視されるようになる。それでも大きな重圧を抱えてプレーするなか、ストレスを解消する意味でも朝まで酒を飲む選手が一定数いた。

1990年代に現役でプレーしたプロ野球OBは苦笑いを浮かべる。

「二日酔いで球場に来る選手はゴロゴロいましたよ。ただ、グラウンド上で結果を出せば何も言われなかった。僕はきつかったですね。酒に弱いのですぐに酔いつぶれてしまう。先輩から誘われたとき、体のコンディションを整えたいから断りたかったけど、当時は『行きません』と言える雰囲気ではなかった」

このOBはそう振り返り、こう続けた。

「体が一切アルコールを受け付けない選手がうらやましかったですね。そういう選手は先輩も酒を強要できないから誘われない。下戸の選手は長年活躍している選手が多い。アルコールの許容量は個人差がありますが、体に掛かる負担は大きいと思います。酒飲みの選手で、若手の時に活躍していても30歳を超えてガクッとパフォーマンスが落ちるケースを見てきましたから」

では、いつから酒席の参加を後輩に強要する文化が消えていったのか。

「翔平は酒が飲めないわけではない」

スポーツ紙で20年以上プロ野球を取材する記者は、

「球団によって違いますが、大谷翔平が流れを大きく変えたと思います。当時の日本ハムは酒を豪快に飲む選手が多かったけど、大谷は一線を引いていました。酒を飲まず、球場と寮を往復する日々で外食の機会は多くない。当時はその行動が物珍しく見られましたが、最大限のパフォーマンスを発揮する上で体に取り入れる食事、睡眠時間の重要性が見直されるようになり、大谷のように規則正しい生活をする選手が球団の垣根を越えて増えていきました。酒は飲んでもたしなむ程度で、睡眠をしっかりとる。大谷が二刀流で前人未到の成績を出しているのを見たら、先輩たちも酒の席に誘おうと思わないでしょう」

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