そうした日々が6年続き、東京へ帰任して1年後、退職願を出した。理由は、制作の現場から離れ管理職の仕事が増えてきたことが1つ。そして、本に書いたような狩猟の生々しい情景はテレビでは表現できないジレンマがあった。
狩猟に出れば、例えば母熊を撃った後、木の上に逃がされた小さな子熊も撃ち、さらに命乞いするような目のもう1頭の子熊を撃つことがある。母親なしで冬は越せないから最後まで責任を持つ、みたいな話は番組では当然カットです。
1000万人に見てもらう番組にするには、わかりやすく見やすく楽しく、ある程度希釈しなくちゃいけない。ディレクター時代、それが歯がゆかったのに、今度は自分が若手にそう指導する立場になってしまった。別の表現形態で自分の考えを伝えようと思った。
食う者と食われる者、1対1の関係性を構築
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