本来は暴く必要のないもの、一斉検査なら十分な配慮を
2002年の学校保健安全法施行規則の一部改正により、色覚検査は学校健診の必須項目ではなくなった。だがその後、自身の色覚異常を知らずに成長することの不利益が指摘されるようになった。鉄道や航空関連など、先天色覚異常によって制限を設けている仕事を目指していた場合、人生の大きな方向転換を迫られるからだ。こうしたことを防ぐためにと、14年に文部科学省から規則の一部改正通達が出された。学校における色覚検査の適正な実施体制の整備などが「留意事項」として記され、16年には、学校現場に再び色覚検査が戻ってきた。
東京慈恵会医科大学の岡部正隆氏は、自身も色弱であり、CUDOの副理事長も務めている。これまでの一連の流れをどう見ているか。
「まず『色覚異常』という呼び方は医学用語であり、私たちは日常的には『色弱』という言葉を使います。さらにこれは障害ではなく、感覚の多様性の1つであると発信し続けています。基本的に検査で暴く必要はないものだし、いずれ家族や教員が気づくことも多い。それでも学校としてやる決断をするのなら、当事者に配慮した環境を整えながらにすべきだと思います」
CUDOでは医学用語で「正常色覚」と呼ばれるものを「C型色覚」と呼ぶ。さらにC型色覚と異なる特性をP型、D型、T型と分類。いわゆる色弱の人のほとんどはP型かD型に該当するが、それらもC型色覚との違いの程度は連続的だという。便宜的に軽度、中程度、強度と分類されており、実際には無数の感覚の特性が存在するとしている。
過去には、色弱の人たちに対する差別が横行していた。当事者の男性だけでなく、保因者の女性も結婚しにくい状況があった。戦争の是非は別にして、戦時中の徴兵の際も、色弱の人は健診で「不合格」とされた。岡部氏は、学校健診という全国一斉のスクリーニングで強制的に遺伝形式を検査し、進路や結婚まで制限した社会のあり方を強く非難する。今もその爪痕は世代を超えて残っており、次のようなケースも多いという。
「例えばお子さんが色弱だとわかったとき、非常に動揺したお母さんが、涙ながらに相談に来ることがあります。このお母さんを30~40代だとしましょう。この世代はまだ学校での一斉色覚検査を経験していて、さらに前の世代の親に育てられている。でも今の学生に『色弱の人にこんな差別があった』と話すと、まったく理解できないという反応をします」
こうした感覚のギャップは、30年ほどのスパンで変わっているようだと岡部氏は続ける。年代が上がるほど、差別意識は根強いものがある。
「詳しく聞いてみると、色弱の子のお母さんのお父さん、つまり祖父が、やはり色弱であることがわかりました。60~70代の彼は、孫の特性を娘に告げられて初めて、自身の色弱を打ち明けたというのですね。この例からは2つのことがわかります」
1つは、この祖父世代の人にとって、色弱はそこまで隠さなければいけないものだったということ。そしてもう1つは、それが実の娘にも気づかれていなかったということだ。色弱の人が困るのは「C型色覚」との見え方の差にぶつかるときだけで、それ以外に障害があるわけではない。多くの人が困り事を自分なりの工夫で乗り切っており、周囲には気づかせないことも多いそうだ。
「歴史的にはひどい差別を受けてきましたが、要するに、本来は色弱ってその程度のものなんです」と岡部氏は続けた。
色のことでみんなが困らない環境をつくる「CUD」
一律に暴く必要はないが、教室に1人はいる確率が高い色弱の子どもには、教員はどう対応すればいいのだろうか。岡部氏はこう語る。
「厳密に言えば、彼らが困る可能性があるのはどんなことか、教員は理解しておく必要があると思います。ただし、みんなが困らない環境をあらかじめつくっておけば、特別な配慮は要らなくなります」
色のことでみんなが困らない環境をつくるのが、CUD(カラーユニバーサルデザイン)だ。CUDを実現するには、まず色弱の人がどんな場面で困るのかを知ることが欠かせない。
「例えば『黒板』という名の緑色の背景に、カラーチョークで文字を書かれること。ピンクと青、黄緑と黄色などが同じような色に見えて、『ピンクの文字を読んで』などと言われてもどの文字を読んでいいかわからず、子どもは困ってしまいます」
この問題にはしかし、すでにCUDの取り組みが進行している。国内トップシェアの日本理化学工業が、どの色覚タイプでも見分けやすいカラーチョークを開発しており、多くの学校で導入されている。また近年は緑色ではなく、グレーの黒板も増えている。
1人1台端末の導入によるメリットもある。電子教科書は個々の端末で色を調整することができるからだ。教科書のメーカーなどもニーズに対応して理解が進み、CUDに積極的に取り組む会社が多いという。
「ただ、校長先生の理解がなかったり、養護教諭だけに任されていたりと、学校全体としてはまだ意識が薄い印象もあります。学校の先生は忙しすぎるのでしょうね。色弱の人は見た目でわかるものではないし、本人にとってもカミングアウトするメリットがないので、当事者が配慮を求めないという特徴があります。だからこそ、環境として整備してしまうことがいちばん手っ取り早い解決法だと思うのです」
色の見え方が違うことは、言葉でのコミュニケーションにも影響を及ぼす。授業中の指示や説明は、色だけに頼るのではなく、形や位置などで伝えることが望ましい。
「私たちは自分たちの見ている色を表す適切な色の名前がないので、色の名前を間違えやすいのです。色の名前を使ったやり取りでは、いちかばちかで当てにいって外してしまい、『おかしいよ』と言われることが私もよくありました」
こうした子ども同士の会話で、色弱の子どもが自信をなくしてしまうケースも多いという。図工の時間に選ぶ色を「変だよ」と言われることなどは顕著な例だが、教員からは「自由な色で好きなように塗っていい」とクラス全体に声をかけるなどの配慮があるといい。
チョークや黒板、ゼッケンの色…アプリも有効活用して
そのほか具体的な配慮として、テストの採点の際に使う赤ペン選びなども重要だ。P型色覚の人はその特性から、鉛筆で書いた黒い線と赤ボールペンの線を見分けるのが難しいが、朱色のペンなら黒との違いがわかりやすい。色弱の子どもがいるから朱色のペンを使うのではなく、つねに朱色のペンを使うようにすれば、それが岡部氏の言う「特別な配慮が要らない環境」になるというわけだ。
男女の区別に使われやすい水色とピンクも、色弱の人には似通って見える。こうした色分けにはジェンダーの面からも変更が求められているが、CUDの観点からも見直しが必要だ。また、体育館の床に引かれたコートラインを思い出してほしい。バスケットボールやバレーボール、バドミントンなどのコートが重なって描かれており、C型色覚の人でも一見しただけではよくわからない複雑なものになっている。チーム分けの際に使うゼッケンの色も、組み合わせによっては色弱の人が敵と味方を間違えてしまう原因になる。
教員がこうした色や教材を選ぶ際に参考にしたいのが、岡部氏が推奨するスマートフォン用の無料アプリ『色のシミュレータ』だ。これを使うとまさに見える世界が変わり、色弱の人が見分けにくい色の組み合わせも簡単にチェックできる。
「例えば東京の地下鉄の路線図。あれの副都心線と丸ノ内線の区別が、私にはまったくつかないんですよ」という岡部氏の言葉に首を傾げたが、このアプリのカメラで路線図を写して見てみれば、百聞は一見にしかず。瞬時に同氏に共感した。これを色だけで見分けて電車を乗り継ぐことは至難の業だろう。
障害は当事者にあるのではなく、社会のほうにあるものだとよくいわれるが、色覚の違いはこの言葉を強く実感させるものだ。もしP型やD型色覚が多数派だったら、どんな社会になっていただろうか。そこでマイノリティーの壁にぶつかるC型色覚の人たちは、どんな不利益を被るのだろうか。
日本軍は色弱の人を「規格外」としたが、反対に米軍は色弱の人を集めて部隊をつくった。彼らは迷彩色に惑わされることがなく、C型色覚の人が見えない明暗の差を見分けて森に潜む敵を見つけ出したという。岡部氏も「美術を教える知人曰(いわ)く、色弱の人は色みよりも明暗の差が際立って見えるので、デッサンが非常に上手だそうです。それに私も子どもの頃、山でバッタなどの虫を捕るのがとても得意でした。川の中で泳ぐ魚を見つけるのも誰よりも早かったんですよ」と笑う。そうしたことも影響したのだろうか、実は岡部氏はショウジョウバエや魚類などの生物の研究も長く手がけており、決して色覚だけの専門家ではない。広い視野で研究を続ける同氏のフラットな語り口を聞いていると、差別があった時代に戻ることは決してないという確信が生まれる。
(文:鈴木絢子、注記のない写真:Tatsuya Osawa / PIXTA)