「競争の激しい日本の教育制度」に指摘

2023年4月、「こども基本法」が施行された。これは、すべてのこどもの基本的人権を守ることや意見の尊重などを基本理念に、心と身体が発達の過程にある「こども」を支えていくというもの。この法律に生かされているのが国連の「子どもの権利条約」(児童の権利に関する条約)の4つの原則だ。

4つの原則
1. 差別の禁止
2. 子どもの最善の利益
3. 生命、生存及び発達に対する権利
4. 子どもの意見の尊重
出所:日本ユニセフ協会ホームページ

 

この条約では、子どもが権利の主体であることが明記されているほか、子どもの意見表明権が保障されている。日本がこの条約の締約国となったのは1994年のこと。締約国の政府は定期的に報告書を提出し、児童の権利委員会から審査を受け、さまざまな改善が求められる。

ここで注目したいのは、日本が継続的に「競争の激しい教育制度」について指摘を受けていること。98年を皮切りに2004年、10年に加え、直近の19年には緊急措置が必要な問題の1つとして、「児童が幼少期及び発達を競争的性質によって害されることなく享受できることを確保するための措置を取ること」が求められている。

じわじわと繰り返す心理的虐待、マルトリートメント

「子どもの幼少期や発達を阻害する日本社会の競争的性質」とは、具体的に何を指しているのか。そのヒントが、臨床心理士である武田信子氏の著書『やりすぎ教育』にある。

この本で武田氏は、今の日本は経済的価値の高い人間が求められ、その価値観が子どもの教育にも影響を及ぼしていると指摘している。社会が複雑化して、学ばなければならないコンテンツや技能は無限に増え、幼児の遊びも子どもの成長のための知育プログラムと化している。子どもの成長発達は一人ひとり異なるはずが、「最短で効率よく質のよい商品を仕上げ、停滞やバグを許さない」という経済至上主義の価値観が投影され、教員や保護者に「失敗は許されない」という過度なプレッシャーを与えている──。

子どもたちの自分が生きる世界を把握するために学びたいという要望、人として成長することへのニーズよりも、大人から言われて「やらなければいけないこと」が優先される今の日本。そんな中で、子どもの不登校や自殺は増える一方だ。こうした社会を覆う空気や価値観を、武田氏は「エデュケーショナル・マルトリートメント」と表現する。

「『エデュケーショナル・マルトリートメント(Educational Maltreatment)』という概念は、私が2010年にヨーロッパ教師教育学会の年次大会で発表する際、日本の教育の現状について説明するためにつくりました。マルトリートメントはひどい扱い、虐待という意味です。同じ虐待という言葉でも、アビューズ(abuse)という言葉は主に身体的・性的虐待に使われますが、マルトリートメントはじわじわと繰り返す心理的虐待、複雑性PTSDを生むような関わり方全般を指します。例えば、親や担任の先生など、人生を預けなければいけない大人に『こんなこともできないのか』『クズだな』と毎日繰り返され、否定されたら、子どもは自信をなくしてしまいますよね。最近では『マルトリートメント=避けたい関わり』などと優しく言われることもありますが、結果的に子どもたちに起きることは、ひどい虐待を受けた子どもたちに起きることと同じようなのです」

近年、日本に広まった「教育虐待」という言葉は「親による過度の教育」という文脈で使われているが、武田氏の言うエデュケーショナル・マルトリートメントは、それとは異なるという。

「エデュケーショナル・マルトリートメントは、大人が子どもの将来に対し不安や欲望を抱いて強制的に学ばせてしまう状態のこと。ただし、これは家庭や学校、親や教員といった個人の責任を追及するものではありません。社会の価値観そのものが、マルトリートメントを生む土壌になっていることを表す概念なのです」

社会における子どもへのマルトリートメントには、従来、虐待やネグレクトと呼ばれてきた家庭における子どもへのマルトリートメントが含まれる。エデュケーショナル・マルトリートメントは、家庭に加えて学校における教育など子どもの教育全般に用いる概念だ

教育にも入り込む「経済的価値優先」の空気

では、なぜこうしたエデュケーショナル・マルトリートメントが生まれるのだろうか。

武田信子(たけだ・のぶこ)
一般社団法人ジェイス 代表理事、臨床心理士
武蔵大学教授、トロント大学・アムステルダム自由大学院客員教授などを歴任した後、2021年一般社団法人ジェイスを立ち上げ、養育環境を改善し、マルトリートメントを予防するアクションのために、対人援助職の専門性開発に取り組む。ウェルビーイングな発達を保障する養育環境の実現とマルトリートメントの予防のために、対人援助職の専門性開発に取り組む。『やりすぎ教育 商品化する子どもたち』(ポプラ新書)、共著『教師の育て方 大学の教師教育×学校の教師教育』(学事出版)のほか、監訳本に『教師教育学』(学文社)など編著書多数
(写真:本人提供)

「本来はいろいろな生き方があるはずなのに、『いい生活をするためには人より稼がないと』という価値観が日本全体を覆っています。そのためには『勉強していい学校に行っておかないと』と、大人たちの信じる価値観が子どもに圧力として伝わってしまうのです」

画一的な価値観の下、多くの人が「同じピラミッド」の頂点を目指している状況にあるわけだ。また現代の大人は忙しくて余裕がなく、そんな大人を前に子どもも、生きていることの価値や意味を見いだして夢を持って生きていこうと思える状況にもない。

こうしたマルトリートメントは、とくに儒教の影響が強い国やカースト制度が残る国など上下関係を重んじる社会で起こりやすいという。そう考えると今の日本では、家庭で父親が絶対的な力を持つ家父長制の影響が弱まっており、エデュケーショナル・マルトリートメントが抑止されてもよさそうだが、それは逆だと武田氏は話す。

「昔は祖父母や親戚のおじさん、近所の人など、いろいろな大人と接する機会があり、生き方のモデルが身近にありました。また、親に叱られても祖父母の元に逃げ込んだり、親子げんかを近所の人に仲裁してもらったりということができました。しかし、今は核家族が増え、子どもは学校や塾、学童と家の間を往復する毎日で、地域に暮らすいろいろな大人と接する機会がありません。密室の中で大人の言うことは絶対という中、強い力でコントロールしようとすると、子どもにもろに影響が出てしまいます。家父長制が強かった時代にも、子どもを殴る頑固おやじはいましたが、家族や社会は閉じていませんでした。家族や社会が閉じている今、大人も子どもも逃げ道がなくなっているのです」

「こうあらねば」に追い詰められる大人

こうしたマルトリートメントな社会を象徴する出来事として、武田氏は1つの例を挙げる。

「ある女優さんが、成人を過ぎた子どもが犯した罪で責められたことがありました。あの時、日本中の母親の多くが『子どもが罪を犯せば母親や家族が責められるのだ』というメッセージを受け取ったのではないでしょうか。だからこそ『ちゃんと育てなければ』『いい教育を与えなければ』とプレッシャーを感じ、子どもにきつく当たってしまう。しかし、家族も社会も閉じているので、逃げ道を失ってしまうのです」

そもそもマルトリートメントな社会の被害者は、子どもだけではない。親や教員などの大人も「こうあらねば」という圧力を受けて育った可能性が高く、自分がマルトリートメントを受けて育ってきたという認識がないことも珍しくない。そこでまずは、自分がマルトリートメントを受けてきたならば、そのことを自覚することも大切だという。

では、大人がマルトリートメントを予防するためにできることはあるのか。いい人生を歩んでほしいと願うのが親心であり、何でも子どもがやりたいように自由にさせるというのはなかなか難しそうだ。

「子どもの立場に立って、ハードルを上げすぎず、目標設定が適切か、どういう関わり方が適切かを考えなければなりません。子どもが大人の顔色をうかがったり、大人に何も言わなくなったら、不適切な関わりがあるということだといえます。今は、いい学校、いい教育を目指してしまう社会環境にありますが、学ぶことが嫌ではない大人に育つことを目指すので十分ではないでしょうか」

変化の激しい社会では、求められる知識や技能が時代によって変わる。生きていくうえで必要に応じて主体的に学ぶ力が求められており、学ぶことが好きになる、学び方を学ぶ場としての学校現場の役割も大きい。

また、国連の「児童の権利に関する条約」や、日本で施行された「こども基本法」を読んでみるのもお勧めだという。

「子どもの権利というものは、大人が上から目線で『大変な状況の子を守ってあげる』ようなものではありません。日本語の『権利』は堅苦しいイメージですが、英語のライツ(rights)には『自然で当たり前のこと』という意味があります。つまり、権利は人として当たり前に持っているものなのです。例えば、まだ話せない新生児の『あー』とか『うー』という訴えに対し、ケアする余裕のある大人が『どうしたの?』とやり取りして、相手の立場で要望を聴き取る。そうされて初めて小さな存在でも社会に認められる。そういうことなのです。

子どもの権利を考えるに当たって、自身の子ども時代を思い出してみるのもいいですね。多忙に生きている大人たちは、自分のことで精いっぱいで、子どもの気持ちを受け入れるのが難しいときもあるでしょう。また、子どもの要望をすべて受け入れ、放置することがよいわけでもありません。必要なのは、子どもの意見や気持ちを聞くだけでなく、大人が知っている情報を伝え、一緒によい解決策を探していくこと。その際、子どもが大人を信頼し、安全な関係性の中でやり取りできることが重要です」

自分にない価値観と出合い、体で感じる

とはいえ、「これが当たり前」と思ってきた大人にとって、価値観を変えることはなかなか難しいだろう。

「価値観は簡単には変わりませんから、転換できない自分を責めないでください。今まで自分が得たものとは違う情報をくれる本、人と出会うことも有効です。私はほかの国で暮らし、自由に生きている人と過ごす中で自分を変えることができました。1カ所にとどまって頭で考えていても変わりませんから、いろいろな人と一緒に体を動かしてみる経験も大切ですね。すると、『子どもにこんな言い方をしていたんだ』などと自分で気づきますから」

こうした問題に対する意識を持つ教員も増えている。だからこそ、古い価値観のままの環境の中で孤独感を感じている人もいるのではないだろうか。

「変わり始めている人たちは増えています。学校や教育の世界以外も見てみましょう。『教育改革の旗手になる!』とか『ICTを使った探究学習で進学率を上げよう!』といった競争の方向に向かってしまえば、行き先は前と同じになってしまいます。競争に勝って幸せそうに見える人ではなく、競争の世界から離れてもなぜか幸せそうに生きている人の隣に座ってみてはどうでしょうか」

子どもの権利を考え、大人と子どもがお互いの情報や意見を交換しながら解決策を探る。そうすることで、かつて子どもとしてマルトリートメントな社会の中でサバイブしてきた大人が自身を振り返り、癒やし、新たな未来をつくることにつながるだろう。

(文:吉田渓、注記のない写真:Fast&Slow / PIXTA)