激しい荒れと異なる「令和の学級崩壊」の質的変化、予防のためのポイント3つ 特別な支援を必要とする子の増加との関係とは
文部科学省は2022年、10年ぶりに「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査」を行いました。それによると、小学校で「学習面又は行動面で 著しい困難を示す」子どもが10.4%、中学校で5.6%となっています。10年前と比べると、やや増加しています。しかし、そうした子どもたちへの対応に関する教員のコストは、数字以上に大きくなっている印象があります。
それは、教員の特別支援教育に関する研修が進み、私たち教員が、支援を必要とする子に注目しやすくなった。また、その適切な対応策も、ある程度知られるようになり、その子に合った支援をしているから、そのコストが大きく感じられるのかもしれません。
いずれにしても、通常学級で支援が必要な子どもの、教師の認知数は増加し、当然ながらその対応に苦慮している現場の教員も多いということがいえます。
2. 「多様化した子どもたち」と、学級崩壊の過程
特別な支援を必要とする子どもが教室にいるから、学級崩壊が起こりやすいとは言えませんし、そうした子がきっかけとなって必ず学級崩壊が起きるとも言えません。しかし、教室内に「いろいろな子」がいるという、全体として「多様化した子どもたち」への誤った対応が、学級運営を難しくし、「学級がうまく機能しない状況」に陥らせた例が多くあることは、現場の教員として認めるところです。
では、その「多様化した子どもたち」をきっかけとして、「学級がうまく機能しない状況」に陥る過程は、どのようなものでしょうか。これには、学級における「二重規範」の問題が深く関係しています。
これまでの学級運営では、学級における「単一規範」を教員は大切にしてきました。例えば、「鉛筆はB以上の濃さのものを5本」「消しゴムは1個」「授業中のノートの取り方は、決まりどおりに」「授業中はきちんと座って、先生の話を目を見て聞く」というような規範があり、それらには基本的に例外が認められませんでした。教室において「特例」はなかったのです。ところが、「多様化した子どもたち」のあり方を認めることは、「特例」を認めるということにほかならないわけです。
「Aさんは、立ち歩いて学習してもいい」「Bさんは、ノートの取り方が多少違っても、いい」(もちろん、そうできるような支援を教員はする)というようなことが起こるわけです。「多様化した子どもたち」に、単に個別に支援をしたり、配慮をしたりするだけなら、何の問題もありません。しかし、そこにはさらに「多様なほかの子どもたち」もいるのです。
ある子は、「先生、Aさんだけ立つのはおかしくないですか? 私たちは、立ったら叱られるのに」、またある子は「そうそう、不公平だよね?」と声を上げます。そして、Aさんの行動がどうしても許せず、パニックする原因になるような強い注意をする子も出てきます。
こうした多様な子どもたちの教師への「二重規範」批判が、学級を機能させないようにしていきます。やがて、教員の権威は失われて、教員の説明や指示が通らなくなる。そして、教室は騒然としていくのです。
3. 保護者も加担してしまう学級崩壊
前述のような「不公平なこと」があると、保護者たちも敏感に学級の状況や担任の対応に反応します。こうした保護者たちの動きをきっかけに、学級崩壊が深刻になった例を、ある教員から聞いたことがあります。
保護者たちのSNSを利用した情報交換の速さと量は、驚くばかりだそうです。前述のような「不公平なこと」があったことを、子どもたちが家庭で話します。すると「今日、学校でこんなことがあったんだって」と、夕食後に驚くべき速さで「拡散」するのだそうです。また、この機会に乗じて普段からの教員への不満を口にしたり、「拡散」したりもします。
それを、子どもたちが見聞きします。こうした保護者たちの言動によっても、子どもたちの担任に対する敬意は失われていくというのです。こうした経過を経て、残念なことですが、ある学校の担任は勤務できない状況になったそうです。
もちろん、保護者には学級を崩壊させようとする意図などはなかったでしょうし、担任を追い込む意図もなかったに違いありません。しかし、結果として崩壊を早めてしまったことに、間違いはないでしょう。現状の学級崩壊には、この事例のように保護者の言動が深く関係している場合が少なくありません。
4.「硬い規範」がある学級と「軟らかい規範」しかない学級
以前、学校は「みんなに同じ指導をしています」ということを第一の理念として、その権威を保っていました。全員に同じ指導をしたうえで、子どもにも、保護者にも、「平等に指導しているのですから、これで『できない』と言われましてもね」と、強弁していたわけです。
こうした状況では、「全員に同じことが提供されていない」ときに、「不平等」という批判を学校は受けます。一人ひとりにマッチした教育サービスが提供されているかどうかは大きな問題ではなく、全員に同じことが提供されていることが重要でした。
授業中に立っている子がいれば、教師は「座りなさい。みんなきちんと座って、授業を受けているじゃないか」と注意をしました。また、周囲の子どもたちも、その指導に納得をしていました。むしろ、教員が指導しないときには、「先生、あの子に注意してください。みんな座っているのに、あの子だけずるいじゃないですか」と不満を口にしました。
つまり、教室の中には、崩しがたい「硬い規範」が存在して、それを全員が守っている状態が、よい状態だと考えられていたわけです。ところが、こうした同質のサービスを全員にすることを条件として、同程度の学力や行動が求められる状況では、当然それに適応できない子が増えるということが起きてきます。少し前までの学級崩壊は、こうした背景が原因となっていました。