私も10年前に、デンマークで見てきたことを伝え、みんなで考えたいと思って、これからの教育フューチャーセッションという対話の場を開いていたことがあります。その時の合言葉が、「巻き込む・巻き込まれる・巻き起こす」で、教育に課題意識を持つ一般の人たちが多く参加されていて、今それぞれの立場で事を起こしています。
でもその時には残念ながら先生の参加は少なく、先生は忙しくて学校外の人とつながる余裕はないといわれていました。
しかし、今回の共創対話には多くの先生が参加され、学校以外の参加者とつながり合っている姿を見て、「確実に変化は起きている」と思いました。これは、一人ひとりの小さな動きかもしれませんが、やがて確実に現実を動かす大きな力になるはずです。

前回の私の記事で、小学校の授業を見て感じた違和感について書きました。それは、一方的に大人が用意した正解に合わせていくことを覚え込まされていくことへの違和感からでしたが、そのことについてもさまざまな反応をいただきました。
でも、混沌とした未来を、自分の力で生きていかなくてはならない子どもたちに教えるべきことは、1つの正解ではなく、自分で考えること。そのときに、どうしたら自分も相手も大切にしながら、コンフリクトを超えてつながれるのかということを小さい時から、経験を通して考えさせていく場をつくることではないでしょうか。
今回の共創対話は、まさにそういう場を大人同士が体験し合う機会になったと思います。
教育改革について、さまざまな方がそれぞれの立場で真剣に取り組んでいらっしゃることは私も知っています。でも、いくらよいシステムを作っても、それを動かすのは人です。しかも今は過渡期。これまでのシステムで決められたことをする方が楽だし、変化を起こすにはエネルギーも要ります。だからこそ、立場や考えの違う人たちが安心して対話ができる環境が必要です。きっと一人ひとりの先生は、みんな子どもたちのためによかれと思って、それぞれの仕事をしているはずだからです。
最後に、教師だった住岡さんのお父様が急逝された時に、弔問に訪れる教え子たちの長い列ができ、交通整理に警察が出るほどだったという話を紹介しましょう。住岡さんは「父は名もない一人の教師だったけれど、この時に父の生きざまを見た気がした」と言います。生徒たちに伝わったのは、ノウハウではなく、一人の人間としての生きざまだったのです。
これこそがきっと先生という仕事の矜持ではないかと私は思いました。
(写真:すべて中曽根氏提供)
執筆:教育ジャーナリスト 中曽根陽子
東洋経済education × ICT編集部
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