発達検査で「特異な才能を持つ」ギフテッドであることが判明
――お子さんが発達障害と診断されたのは、いつですか? またどのような経緯で発達障害であることがわかったのでしょうか?
息子が年中の時です。バイリンガルの保育園に通っていて、先生から「お子さんは保護者向けに書かれた文章を理解できています。英語での日常会話も問題ありません。何か特別な教育をされていますか?」と聞かれたことがきっかけです。今考えると、ポジティブな言い方でしたが、園で困りごとが生じていて、先生も発達障害であることを予想されていたのではないかと思います。
その後、発達検査を受けたところ、ADHD(注意欠如・多動症)であると同時に、IQが高く特異な才能を持つ「ギフテッド」であることもわかりました。
――特異な才能と発達障害を併せ持つ、二重に特殊なという意味の2E(twice-exceptional)の子どもということですね。
はい。明確な困りごとが出てきたのは、小学校に入学してからです。授業中、いすに座って授業を受けることができず、床に転がって本を読んでいることもありました。通学のときも衝動的に飛び出してしまうので送り迎えが必要ですし、毎日のように忘れ物をしていました。
――さまざまな困りごとがある一方で、学力面では平均を大きく超えていたんですよね。
小学3年生で数学検定3級(中学3年生程度)に合格し、4年生の時には6年生までの学習がほぼ終わっていました。ワーキングメモリ(作業や動作に必要な情報を記憶、処理する能力)が高いので、暗記問題は全般的に得意ですし、とくに数学は教えなくても自分なりの方程式ですいすいと問題を解いていきます。そのため1年生から受けていた「全国統一小学生テスト」では、低学年の頃は好成績となることもありました。
しかし発達障害というのはできることとできないこと、いわゆる凸凹が激しい状態です。息子の場合は、行やマスの中に文字を収めることができないことや、要約して文章を書くことが苦手な特性があり、記述全般で非常に苦労したため、「全国統一小学生テスト」の成績は高学年になるに従いどんどん下がっていきました。
発達障害の論文を500本以上読み、支援方法について研究
――中学受験は、いつ頃から考えていたのでしょうか。
凸凹が大きいこと、また低学年の頃からいじめを受けていたので、長男の特性に合った中学校に入学させたいと、早い段階から中学受験を考えていました。そのため大手進学塾にも相談にいきましたが、うちの子のようにADHDの特性から集団授業で集中することが困難だったり、部分的に平均から大きく突出した学力があると、受け入れてもらうことは難しかった。そこで私がサポートするしかないと腹をくくりました。発達障害に関する論文を500本以上読み、民間資格を取得し、どんな勉強法やサポート方法が息子に合うのか徹底的に研究しました。
――ただでさえ親が子どもに勉強を教えるのは大変ですが、発達障害の特性があるとさらに多くの苦労がありますね。
ADHDの特性はいろいろありますが、勉強に関していえば集中力が続かない、やるべきことに優先順位がつけられない、どのくらいで何をしようという時間の概念がないことなどが挙げられます。まず集中力に関しては、短期的な目標(ご褒美)を設定しました。息子はゲームが好きなので、「勉強を頑張る=ゲームができる権利を獲得できる」ようにしたのです。家に福引などで使う抽選器を置き、例えば赤玉が出たら30分、黄色は10分、金色だったら60分といったように、ゲームができる権利を獲得できます。
勉強だけでなく息子が苦手な「時間内に食べる」「お風呂に毎日入る」など、日常生活のさまざまな場面でこの「ガラガラ方式」を取り入れて、楽しみながら学習や生活習慣への取り組みができるよう工夫しました。またストップウォッチやホワイトボードを使って計画や目標を視覚化し、息子がより取り組みやすいような環境を整えました。
受験まで残り2カ月、偏差値55で麻布中学を志望校に
――そのような勉強法を続けて、今年麻布中学に入学されたのですね。
息子は注意欠陥・多動性障害の薬を服用していますので、薬の効果が切れる夜になると、集中して勉強することができません。そのため登校前の限られた時間や習い事の隙間時間でしか、勉強する時間がつくれませんでした。そもそも、息子とは中学年の頃から話し合い、発達障害への理解がある中学校を志望校にしていたので、いわゆる進学校への「中学受験」をするつもりはありませんでした。
しかし、あるとき息子を見た当時の麹町中学校の工藤勇一校長(現・横浜創英中学校・高等学校校長)から「息子さんには麻布中学が合うと思いますよ」と言われたのです。ただ合格判定は圏外だったので受けるつもりはなかったのですが、受験を2カ月後に控えた12月、息子が突然「麻布中学に行ってみたい」と口にしました。自分の思いや希望をめったに口にする子ではないので、これは本気だ……とわかりました。
その時点での偏差値は55。とても麻布中学に届く学力ではありませんでした。急いで麻布の過去問題を見たところ、「知識より思考力を問う」問題が多いことがわかりました。発達障害の特性から記述式は大の苦手だった息子ですが、ずっと勉強を見ていた私には「わかってても書けないだけ」で、彼には言葉や文章に非凡なセンスがあるという確信がありました。そこで記述式に特化して、考えたことをアウトプットする勉強法に切り替えたのです。この読みが当たり、過去問の得点がどんどん伸びていきました。
――まさに親子二人三脚で勝ち取った合格ですね。学校の送り迎えや自宅での勉強などお子さんと過ごす時間が長くあったと思いますが、日々お子さんと関わる中で、何か気をつけていたことはありますか。
何といっても息子の「自己肯定感を下げない」ことを大切にしていました。同じミスを何度もする、忘れ物が多いなどの特性があるADHDは、「怒られる天才」とも言われます。一般的に学校の先生がこうした子に対して繰り返し怒ったり、ぞんざいに扱ったりすることで、周りの子どもたちも「この子にはそういう態度で接していいのだ」と学んでしまう。それがいじめにつながることがあるとされています。
――どうすればそうした流れを止めることができるのでしょうか。
2005年に発達障害者支援法が施行され、教育現場でも教員向けの研修が行われています。ところがその後の調査で「教育現場では発達障害に対する専門知識やスキルが不足している」という研究論文が出るなど、その研修がうまく機能していないことがわかりました。とくに普通級の先生方には、発達障害に関する正しい知識がまだまだ根付いていないと感じています。それでも学校や教育に携わる方々の理解が少しずつ高まっているのは感じており、そのことは本当にありがたいと思っています。
20年からは文部科学省と厚生労働省が共同で行う、発達障害をはじめとする障害のある子どもの支援「トライアングルプロジェクト」もスタートしました。こうした取り組みはあるものの、そのスピードは緩やかなので、自分の子どもはその間にあっという間に成長してしまう。もっと早く、多くの人に発達障害に関する理解を深めてもらえる方法はないかと考え、昨年『インクルボックス』という動画メディアを立ち上げました。
――発達障害に対する知識を多くの人が持つことで何が変わるでしょうか。
2021年、野村総合研究所(NRI)が「日本で発達障害人材が未活躍であることの損失額は2兆3000億円と推計する」というデータを発表しました。「発達障害=手のかかる困った子」というイメージをお持ちの方も多いかもしれませんが、周囲が発達障害に対する知識を持ち、理解すれば、発達障害の子どもは並外れたポテンシャルを発揮します。
そして「自分はほかの子と何か違う」と感じているのは、何より発達障害当事者である、子ども自身です。この子たちが健やかに自分らしく生きていくためには、周りの大人たちが正しい知識を持つことが何より大切です。また発達の特性は発達障害のある子どもたちに限ったことではありません。100人いれば100通りの個性や困りごとがある。それをみんなで認め合い、理解し合える社会をつくるため、これからもメディアを通して発達障害に関する啓蒙活動を担っていきたいと考えています。
(文:藍原育子、注記のない写真:今井康一撮影)