9歳でギフテッド認定、14歳で高校卒業・大学合格
――大川さんのこれまでの簡単な経歴を教えてください。
親の仕事の関係で5歳のころカナダへ渡航し、公立小学校に通っている9歳の時、カナダ政府にギフテッドと認定されました。その後、12歳で公立高校に飛び級進学し、14歳の時、ブリティッシュコロンビア大学(UBC)ほか、マギル大学、トロント大学などカナダの5つの大学に奨学金付きで合格し、2014年9月にUBCに入学しました。
2017年には大学での選抜を経て、ハーバード大学で研究発表を行い、その後、米国のグラッドストーン研究所にてノーベル賞学者の山中伸弥教授の下でインターンとして研究活動に従事しました。翌年、18歳で大学を卒業後、日本に帰国。東京大学先端科学技術研究センターで研究しつつ、慶応大学大学院に入学し(先端生命科学専攻)、トロント大学大学院での研究経験を経て、21歳で修士課程を修了しました。現在はカナダに戻り、ブリティッシュコロンビア大学大学院バイオメディカルエンジニアリングに在籍しています。今後は同大学の大学院にて博士号を取得する予定です。
――22歳にして、すごい経歴ですね。大川さんは、幼い頃どのようなものに興味を持ち、どのようなお子さんだったのでしょうか?
ごく普通の子どもだったと思います。とくに天才性を発揮したエピソードみたいなものは自分では意識したことはないですね。両親からは、「発語が早く、いきなりセンテンスで話し始めてビックリした」とか、「家でピアノを弾いているとき、転調の概念を習っていないのに、突然自分で転調を繰り返し、即興で弾き始めたのでとても驚いた」といった話は聞きましたが、そのような話は、ほかでも聞いたことがあるので珍しくはないと思います。カナダに来た当初は、訳もわからず、周りの環境に慣れるのに必死でした。僕がグレード1(小学校1年生)のとき、英語クラスでは最下位グループだったのを覚えています。親は「大丈夫、大丈夫」とのんきに構えていましたが、僕は子ども心に「全然大丈夫じゃないぜ」と突っ込みを入れたい気分でした(笑)。そのときは、英語をなんとかしようという危機感から、とにかく本をたくさん読みましたね。
――学校外では、どうでしたか?
勉強に関しては、中学から日本に帰る予定でいたので、カナダの学校の勉強以外に、いわゆる日本の中学受験の勉強も並行して取り組んでいました。日本語学校にも通い、日能研とZ会の通信教育などもしていたので、まるで人の倍、勉強している感覚でしたね。
両親は「体験すること」を重視していたように思います。家族でいろいろ旅行し、よくキャンピングやたき火をしていましたね。カナダは大自然に囲まれているので、外で遊べることがたくさんあります。習い事として継続的にやったのは、ピアノと空手です。自分の性に合っていたことと、よい指導者に恵まれたので長く続けることができました。
また、カナダでは、ボランティア活動がとても重要視されていることもあって、ボランティアを多く経験しました。市の図書館の高校生役員になり、読解が不自由な子どもたちにメンターとして本読み指導をしたり、シニア世代の方に電子機器の使い方を説明するサポートをしたり、市の若者代表として環境問題に関するイベントの企画・実行をしたり、高校で数学助手として数学を教えたり、空手の後輩指導をしたりなどいろいろやりました。毎日、かなり盛りだくさんのスケジュールだった気がします。
よく質問されるのですが、いわゆるビデオゲームやオンラインゲームの類いは、興味がなかったわけではありませんが、当時はほとんどやっていません。意識してそうしたというより、物理的に時間がなかったという感じです。また、意外かもしれませんが、両親から「勉強しろ」と言われたことはありません。子どもの頃、生活面で両親から最もよく言われたことは、「早く寝ろ」です。「いつまでも勉強してないで早く寝ろ」とはよく言われました。振り返ってみると、幼い頃、カナダという新しい環境に放り込まれ、強い危機感を持つことができ、さまざまな体験をし、いろいろチャレンジできたことが現在の自分につながっているような気がします。
――ほかにも大量の本を読んだり、公文式、七田式などさまざまなものに触れたりしてこられたようですね。
そうですね。大量の本を読むきっかけとなったのは、英語ができなかった危機感からです。さらに、幼い頃から親にたくさんの本の読み聞かせをしてもらったことは、本を読む習慣がつき、多読に役立ったと思います。公文式や七田式の思い出は、たくさんプリントをやって、積み上げたら自分の身長くらいになっていて、「なんかたくさんやったなあ」というある種の達成感があったことです。公文式や七田式というのは、目に見えない形で血肉になっていて、これらは基礎体力をつける訓練だったと思っています。
高校生になった頃から、積極的に行動するようになり、自分の興味につながる活動を開始するようになったのですが、幼い頃に基礎体力を鍛えてきたおかげで、その後の活動がスムーズに進んだように思います。それは勉強の習慣であったり、計画の立て方、失敗したときの分析、対処の仕方、わからないことを調べたりするスキルなどです。
勉強面だけで判断されないギフテッド
――ご家族やご本人がギフテッドと気づかれたきっかけは何だったのでしょうか?
グレード3(小学校3年生)の時、小学校の担任の先生から「翔はギフテッドかもしれない」と言われたのがきっかけです。自分では自覚はありませんでしたし、親から何か言われたこともありません。
なぜ担任の先生がそう判断したのかはわかりませんが、そのことを言われる少し前に、クラスで自主的にイベントをやったことがありました。友達4人を誘ってグループをつくり、僕が短い物語を創作し、セリフを書き、絵を描き、小道具を作ったりして、クラスみんなの前で発表しました。ちょっとした劇のような感じで、クラスでとても評判がよかったんです。その後に、担任の先生から言われたので、もしかしたら、いわゆる勉強面だけじゃなくて、そういう創造力というか、何か物事を新しくクリエートしていくところを見て、担任の先生が、ギフテッドかもしれないと判断したのかなという気はします。
先生からは「ギフテッドプログラムという、いろいろ面白いことにチャレンジできるプログラムがある。今のクラスにいながら、ギフテッドプログラムの取り出し授業が受けられるよ。認定試験を受けてみたらどう?」という話を聞き、それならいいなと思い、認定試験を受けることになったのです。
その後、学校認定の試験、教育委員会認定の試験や、心理学の先生との面談などを経て、「ギフテッド」の認定を受けました。待ち時間も多かったので、最終的に認定されるまで1年くらいかかったような気がします。僕の通っていた小学校は600人くらいの生徒がいたのですが、ギフテッドに認定されていたのは、学校全体で5人でした。しかし、「ギフテッド」は1つの尺度にすぎません。「ギフテッド」というのは、同世代の子どもと比べて何らかの分野で高い能力を持つ子どもを指す相対的な概念であって、「ギフテッド」だからすごいと思われがちですが、日々の努力を怠るようなら、認定は無用の長物、百害あって一利なしだと思います。
――ギフテッドプログラムは、どのようなものだったのでしょうか。
ギフテッドプログラムには、学校単位のものと、教育委員会単位のものの2種類がありました。どちらも、普段のクラスとは違う、何らかの新しいチャレンジができる場所、という感じでした。例えば小学校時代でいうと、シェークスピアを原文で読み、イギリス発音をまねて練習。実際に劇を他の学校の生徒たちの前で演じたり、みんなでプロのシェークスピア劇を見に行ったりしました。ほかにも、数学コンテストの準備のための講義を受けてみんなで解き方を発表し合ったり、うそ発見器を作ったり、現役の作家や大学教授の話を聞きに行く、なんていうのもありましたね。クイズ大会や、物語を書いて発表し合うということもあり、結構楽しかったです。高校時代は、みんなで議論したり、ライティングをしたりしていました。
日本の中学受験対策が飛び級につながった
――大川さんが歩んできた道は、前例のないことも多かったと思いますが、そうした中で、自分の目標をかなえていくために必要な力とは何だったのでしょうか。
そもそも僕は、友達と一緒にいたくて、担任の先生から言われた飛び級の話を当初断っていたくらいで、最初から人と違う道を進みたいと思っていたわけではありません。いずれは日本で中学受験をして、その後は日本の学校に通うつもりでいました。そのため、並行して日本の中学受験の勉強もしていたわけですが、結果的にこの受験勉強自体が、飛び級につながることになります。後で知ったのですが、飛び級は英語力で決まるそうです。実は、帰国子女枠の英語入試はかなり難易度が高く、カナダの先生たちに、帰国子女向けの渋谷教育学園幕張中学校の入試問題を見せたら、多くの先生がグレード10~11(高校1年~2年生)レベルと回答したほどです。中学受験も、中途半端な気持ちで受かるような試験ではなかったので、必死に勉強していました。その勉強が、結果的に学年の飛び級にもつながったわけです。11歳で飛び級の認定試験を受けたときには、英語力がグレード10(高校1年生)でもトップクラスと判断されました。
2012年1月、中学受験で渋谷教育学園幕張中学校(帰国子女枠)を受験し、合格。その時点でカナダでは、ほぼ全科目グレード10(高校1年生)へ進級していました。そのとき、究極の選択を迫られたのです。日本に戻り中学1年生として進学するか、それとも、カナダでグレード11(高校2年生)に進級するのか。カナダで飛び級の道を先に進めるのは、まさに道なき道を行く感じです。誰もロールモデルがいません。飛び級を進めたからといって、大学に早く行ける保証もないのです。そのため両親と、メリット・デメリットについて、かなり話し合った記憶がありますが、最終的にはカナダで飛び級を続けることを選択しました。失敗してもいいから挑戦してみようという気持ちが強かったのだと思います。
その後、幸いなことに14歳で高校を卒業、5つの大学に奨学金付きで合格という幸運に恵まれるのですが、このことを可能にしたのは僕の中にあった「やればできる」という「根拠のない自信」のようなものだったと思います。この「根拠のない自信」は、いわゆる「セルフエスティーム」=「自尊感情」「自己肯定感」と呼ばれるものが大きく関係していたと思います。僕はカナダで、この「セルフエスティーム」がとても大事だということを、知らず知らずのうちに身に付けていたんだと思います。
カナダの教育では、対象はどんなことでもよい。結果ではなく「行動」や「過程」、チャレンジしたこと自体を褒める、そしてそれを繰り返します。失敗したら、「チャレンジした行動」を褒め、成功したら「その努力の過程」を褒める。こうしたことを、それこそ幼稚園の頃から高校卒業に至るまでずっと毎日繰り返すわけです。こうした繰り返しで「セルフエスティーム」を持ち、高めていくことが目標をかなえていくために必要な力、すなわち困難を克服し、物事を成し遂げるために必要な力になると僕は思いますね。
日本のギフテッド教育は身近なところに
――ご自身で受けてこられたカナダのギフテッド教育と、日本のギフテッド教育との比較、そこから見えてくる課題や評価できる点についてはいかがでしょうか?
日本の教育に関しては、経験が少ないので詳しいことはわかりませんが、一般的にカナダの教育で感じたことは、
(1)結果がどうであれ、積極的に取り組んだことに対して、強く称賛される
(2)スピーチやプレゼンテーションなど多くの人の前での発表機会が頻繁にある
(3)先生が教えるというより、グループ学習を通じて仲間内で学んでいくパターンがとても多い
(4)クリエーティブな事柄への評価が高い(物語を創作したり、絵本を作ったりなどの課題が多い)
ことなどが挙げられます。これらの点は、通常教育だけではなく、カナダのギフテッド教育においてもまったく同じでした。ギフテッド教育の場合、これらに加えて、
(5)チャレンジする!
という点に重点が置かれていた気がします。
日本のギフテッド教育は制度化されていないのかもしれませんが、表立ってギフテッド教育と銘打つことはなくとも、実際のところ、それは行われていたのではないか、と僕は思っています。事実、僕が所属している孫正義育英財団には、合計で240人の財団生がいますが、まさに異能集団で、皆さん実に目を見張るような活動をしています。彼らは全員ギフテッドと言えるのではないでしょうか。
では日本の場合、どういったところでギフテッド教育が行われているのか。例えば、学習塾や予備校で行っている授業の中には、学校の授業内容の枠を超えた、ギフテッド教育と言ってもいい内容のものが含まれている気がします。日本の中学受験用に勉強した特殊算と呼ばれる算数は、実は、カナダで受けたギフテッドプログラムの算数の授業やコンテスト数学の問題にかなり類似しています。また、自由度の高い私立学校の授業内容や、教職に限らず、優秀な教育者の方が個別に担っていた教育の中にも、ギフテッド教育に該当するものがあるんじゃないかと思います。こういったものが、いわゆる「吹きこぼれ」の子どもたちに対応してきたのではないか、と感じます。
最近取り上げられているギフテッド教育は、2E (Twice Exceptional)※に対しても、民間の学習機関が対応し始めたというところだと思います。日本でも学校教育のような大きな船は舵を切るのに時間がかかりますが、小さな船なら小回りが利きます。学習塾、予備校、NPO団体などは、現状のギフテッド教育の問題点に合わせて、素早く対応できるのではないかと期待しています。
※特定分野で異能があるギフテッドの中には、2E(Twice Exceptional)と呼ばれる、ギフテッドであり、自閉症スペクトラムやADHD、LDなどの発達障害をあわせ持つ人たちもいるといわれています
――日本の学校の先生や保護者がギフテッドの子どもに対してできる支援や、必要な視点とは?
極端な例かもしれませんが、知的障害を持ちながら、3歳のころにはすでに、卓越した絵画の才能を発揮していた少女が、自閉症の学校に入学し、そこで言葉の教育を重点的に受けた結果、彼女の言語能力は改善した。しかし、幼い頃に見せていた天才的な絵画の才能は失われたという話があります。どうするのが正しいのか、とても難しい問題です。
ギフテッド教育は、子どもたちの高い潜在能力を生かし、それをさらに伸ばすための特別なプログラムという意味合いが強いと思います。しかし、学校教育には、単に知的学習をするだけではなく、社会への適応を学ぶ場という側面もあります。「出る杭は打たれる」ということわざがあるように、学校などで集団生活を送っていると、時に突出した能力は、和を乱す行動と取られ、攻撃の対象になったりすることがありえます。異分子を排除しようとする防衛的な行動は、もともとは仲間を守ろうとする働きだと思いますが、それは、時には、いじめに発展するケースもある。この場合、いじめている側は、悪いことをしている自覚がない場合もあるでしょう。
ギフテッドは人と違う行動を取ったり、そのパフォーマンスゆえに、仲間になじめず、攻撃の対象となりやすかったりするかもしれません。その攻撃をはね返す力を持っている人はよいですが、人によっては不適応を起こし、その結果不登校になるなどのギフテッドもいるのではないかと思います。教育現場にいる大人たちにそういったことへの理解があるとよいと思います。要は、能力を伸ばしつつ、不適応を起こさないようにするというところでしょうか。ギフテッド教育も含め、そのさじ加減がカギになるだろうと僕は思います。
――日本の学校教育について課題と感じられていることや、学校の先生や教育関係者に向けたアドバイスがありましたらお願いします。
僕は、日本の学校教育にはいいところがたくさんあると思っています。給食があり、音楽や技術家庭などの科目もあり、各学校にはプールがあり、水泳の時間もあるし、クラブ活動も活発で、授業終了後には教室の掃除をみんなでするなど、すばらしい点がたくさんあると思います。僕も、実際日本に一時帰国をした際、日本での学校生活を体験し、とてもよい印象を持ちました。
生徒が教室の掃除をすることは、日本では当たり前とされていると思いますが、世界的にはかなりユニークなんじゃないでしょうか。とくに日本の学校がYouTubeやアニメなどで紹介されると、日本の学園生活に憧れを持つ人たちが多くいることに気づきます。また、部活動がとても活発だったり、面白そうな学園祭などの行事があるなど、アニメの影響もあるかもしれませんが、とても楽しそうに見えます。
ただ、その反面、日本の学校では先生がちょっと忙しすぎるかもしれません。(僕の体験の範囲での話なので、エリアによって違うかもしれませんが)カナダでは、1クラスが20人程度のうえ、小学校高学年になると、クラス内にサポートティーチャーがいることが多かったです。また、上の学年の生徒が下の学年の生徒に本読みを教える時間があったり、クラス内のできる子が先生の助手になったりするなど、先生は1人ではなく、複数の大人や子どもの手を借りながら、クラスをグループ分けして指導していました。
今後、日本で次々に新しい教育システムが導入されていくのは、選択の幅が広がるという意味で、必要なことだと思います。しかしながら、教育システムはその国の文化と密接に関係していて、その文化の違いが教育システムの違いになっている。そのため、他国のシステムを形式だけ導入してもなかなかうまくいかないと思います。日本の教育制度のよいところは残しつつも、日本の実情に合わせた導入ができるのかが今後の課題だと思います。
――これからのご自身の目標や、やりたいことなどお聞かせいただければと思います。
UBC大学院での研究を続け、何らかの形で研究者として世界に貢献することができたらと考えています。また、「Build a Brighter Future!」という意気込みを持ち、みんなと協力して、明るい未来をつくるために活動できたらと思っています。
具体的な活動としては、自分の研究活動のほか、ギフテッド教育を担当する先生たちと連携し、カナダのギフテッドの中学・高校生向けのプログラム(大学院での先端研究の基礎をオンラインで解説するセミナーやビデオ解説)、STEMLinkを立ち上げました。
去年はカナダ内のみでの活動でしたが、今年は活動の枠を広げ、香港やコスタリカの高校生向けにもセミナーを開催します。教える大学院生も、カナダだけでなくアメリカや日本や英国やフランスやオランダやドイツなどの大学院生たちと連携していく予定です。今後さらに他大学の院生との連携を積極的に行い、いずれ日本の高校生に向けても展開していけたらいいなと考えています。選択肢を広げ、ギフテッドの居場所をつくるというのが、課題の1つであり、その一助になればという思いで活動を続けていけたらと思っています。
(文:國貞文隆、写真:すべて大川翔氏提供)