年齢:43歳
勤務先:公立小学校
テレビで取り上げられ、誹謗中傷の標的に
吉田さんは、公立小学校に勤務して20年目。仕事を持ち帰らない日はないほどの忙しさを抱えながら、メディアを通じた情報発信にも力を注ぐ。そこには、「教員にやりがいを感じているからこそ、『働きがい』や『働き方改革』について発信したい」との思いがあった。発信を通して教育界に貢献できるなら、協力も惜しまないスタンスだ。
しかしその結果、吉田さんは苦しい時期を経験することになる。テレビの取材に協力したときのことだ。長期にわたる密着取材では、学校での様子だけでなく自宅での過ごし方も公開。テレビ局側の編集で、教員生活の過酷さがより強調された面はあったが、番組は放映直後から大きな反響を呼んだ。
「子どもたちや保護者の方々からの反応はとても好意的で、コメントもあたたかく、励みになるものが多かったんです。ところが、一部批判の域を超える誹謗中傷が届きました。初めて見たときは、動悸が止まりませんでした」
それから、不安感で一日中落ち着かない日々が続いたという。
「例えるなら、朝、クレームが書かれた連絡帳を児童から受けとり、放課後その保護者に電話をかける予定ができたときの不安感です。つい授業中もチラついてしまって、なかなか集中できない……。あの気持ちを、もっと強くしたような感じでした」
コメントを見なければよいと思いつつも、どうしても“エゴサ”がやめられなかった吉田さん。頭では「ダメ」とわかっていても、どこかに好意的なコメントがあるのではないかと期待し、画面をスクロールする手が止まらない。
「誹謗中傷を受けて落ち込んだ分、よいコメントに励まされたくて探すのですが、結局悪いコメントばかりで余計に落ち込んでしまう。そんなことを繰り返していました」
吉田さんをさらに傷つけたのは、そうした誹謗中傷のほとんどが、教員によるものだったことだ。最初は、ショックから「まさか教員がそんなことをするはずがない。きっとなりすましだろう」とも考えたが、コメントの内容からして、同職同業であることは明らかだった。
「教員が、匿名で他人に、しかも同じ境遇で頑張っている人に攻撃的な言葉をぶつけるなんて、信じたくなかったんです。でも思い返せば、ある教員が “顔出し”で取材を受けたり、情報発信をしたりすると、そのコンテンツには必ず、教員らしき人物からの誹謗中傷的なコメントが見受けられます。子どもたちの手本となるべき教員がなぜそういうことをするのか、理解に苦しみますし、非常に悲しいです」
「#教師のバトン」がネガティブ投稿増加のきっかけ?
「他人からの誹謗中傷など気にしなければいい」、という意見もあるだろう。しかし、それはなかなか難しかったと吉田さんは振り返る。
「悪意あるコメントが一瞬視界に入るだけで、動悸が高まるんです。人間、そんなにたくましくもいられないのだと、身をもって知りました。それに、顔も名前もわからない人物が悪意を持って自分に接してくるという状況は、やっぱり怖いんですよね。とにかく、例えようがないほど怖くて。これは、実際に経験しないと理解できない感覚だと思います」
相手がどこの誰だかわからないということは、裏を返せば、どこの誰でもあり得るということだ。誹謗中傷を受ける側にとって、「匿名」=「全員」。たとえ少人数からの悪意でも、不特定多数の総意のように思えてしまうのだから、精神的にも相当な負担だったはずだ。
吉田さんの場合、SNSの「通報」や「ミュート」「ブロック」機能を使うようになってから、ようやく心にゆとりができたという。何かしらアクションすることで、ひたすら受け身で傷つけられる状況は免れたからだ。しかし、教員が匿名で誹謗中傷することへの“もやもや”は晴れなかった。
「今、学校はコンプライアンスに対して非常に厳格です。特に、個人情報漏洩と飲酒運転は定期的に研修があって再三注意喚起されますし、セクハラやパワハラなどのハラスメントも厳しく言われるようになってきました。しかし、SNSの利用や投稿については、まったく話題にものぼらないんです」
総務省の「令和6年版 情報通信白書」によれば、日本のSNS利用者は2023年時点で1億580万人。人口減少が加速しているにもかかわらず、利用者はさらに増加していくと予想されている。とくに統計は存在しないが、当然、教員の利用者も増えているだろう。吉田さん自身、周りで利用者の増加を実感しているという。

「2021年に文部科学省が始めた『#教師のバトン』プロジェクトをきっかけに、SNS投稿に対する教員のハードルが下がったように思います。もともと『#教師のバトン』は、学校現場の声や事例を共有して働き方改革の参考にしたり、教職の魅力を発信して人手不足を解消したりすることが狙いでした。しかし、その意図とは裏腹に、教育現場のネガティブな投稿に多くの共感が集まり、教員にブラックなイメージがついてまわるようになりました。
その名残なのか、仕事を頑張る様子や『やりがい』を発信したり、先生たちを励ますような投稿をすると、『ブラックな働き方を助長している』『やりがい搾取を正当化するのか』と叩かれる傾向にあります。建設的で健全な批判は参考になりますが、誹謗中傷は教育業界になんのメリットも与えませんよね」
学校現場とSNS上で「異なる顔」を持つ教員への懸念
SNSをめぐっては他の業界でも、社員やアルバイトの投稿が炎上し、企業イメージが著しく悪化した例がいくつもある。そのため最近は、プライベートのSNS利用にも踏み込んで注意項目を設ける企業が増えた。
ところが、教員に対する文部科学省の動きは鈍い。2021年4月に「SNS等を用いて児童生徒と私的なやりとりを行ってはならない」という通知を出してはいるが、教員の発信については特段言及されていない。

「もちろん、SNS発信を規制することは『表現の自由』を阻害しかねませんから、慎重になるのもわかります。でも、せめて注意だけでも促してほしいのです。教員はみなさん素直で真面目ですから、上から言われたことや学校のルールであればきっちり守ると思います」
吉田さんがこう語るのは、SNS上で誹謗中傷や過度にネガティブな投稿をしたり、『辞めたい』『死ぬ』などと発信する教員がいる一方で、実際に出会ってきた教員の多くが生き生きと働く姿を見ているからでもある。
「たしかに現場でも、『もうやっていられないよ!』と漏らす先生はいます。でも、これまで20年間の教員人生で見てきた限り、みなさん子どもたちの指導はとても楽しそうにされるのです。当然つらいこともありますが、充実感をもって働いている先生が多数だと感じます。
それがSNSだと、現場で明るく輝いている先生の姿は見られず、まるで教員がみんな病んでいるかのような印象ですよね。これでは教員志望者が減るのにも納得せざるを得ません。ネガティブなSNS投稿をして『いいね』やコメントが集まれば、いっときの承認欲求は満たせるかもしれません。しかし、徐々に教員としての日常まで蝕まれてしまう気がしてならないのです」
匿名でも特定可能、SNSでの誹謗中傷は罪に問われる
今やSNSは、子どもたちも積極的に閲覧・活用するツールだ。職業が教員であることを明かしながら、匿名という仮面をかぶって学校と異なる言動をしてみせることは、果たして正しい振る舞いなのだろうか。吉田さんは、そんな問いも突きつけている。
「ひとつだけ、誹謗中傷に遭ったことを前向きに捉えるなら、子どもたちに『他人に悪口を言ってはダメだよ』と伝える説得力が増したことでしょうか。『大人でも、先生でも、他人の悪口を言ってしまう人がいる。そういう人は、誰かを傷つけることがやめられなくなっているんだと思う』と話すと、子どもはとても素直に聞いてくれます。
『先輩が悪口を言ってたら注意できる? 先生はできなかった……』『友達に誰かの陰口を振られたらどうする?』など、自分の経験も正直に話すと、子どもも一緒になって考えてくれるのです。先生方はよくわかると思いますが、子どもは大人のやることを真似するもの。まずは教員同士の傷つけ合いを少しでも減らせるよう、今後も情報発信に力を入れたい気持ちはあります」
言うまでもなく、SNSでの誹謗中傷は、名誉毀損罪や侮辱罪に問われたり、高額の慰謝料を請求されたりする。とりわけ侮辱罪は2022年7月に厳罰化され、懲役刑も加わった。自ら投稿やコメントをした場合はもちろん、第三者の投稿をリポストしたり、『いいね』をするだけでも罪に問われる可能性があり、匿名アカウントであっても発信者は特定できる。今後、教え子たちが被害者・加害者としてこうしたリスクに晒されることがないよう、教員もいま一度、基本に立ち返る必要があるのではないか。
(文:高橋秀和、注記のない写真:Luce / PIXTA)