かまいたち山内健司が明かす「教員の道を選ばなかった本当の理由」 「働きたい企業は1つもなく」独自のキャリア論

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代わりに浮上したのが芸人の道だ。

「それまで漠然と『チャレンジしたい』と思うだけで、結局行動してこなかったことに気づいたんです。そこでマジで就活せずに退路を断ちました。そうしてお笑い養成所のNSC(吉本総合芸能学院)に入る覚悟を固めていきました」

とはいえ、山内さんは芸人の道で成功できるとは限らないことも十分に理解していた。その心情は、「退路を断つ」という言葉にもよく表れている。同時に、NSCへの入学は大学卒業後とし、ここまで目指してきた教員の道への可能性を探るべく教育実習を受けた現実的な一面も見逃せない。

「自分に必要かどうか、向いているかどうかはやってみないとわからない。『どうだろう』と悩む時間がもったいない。だから、とにかく一回飛び込んでみるようにしています。

これはお笑いでも同じです。誰しもNSCに入ったばかりはトリッキーなネタをしたがります。でも、ベタをできない人のトリッキーは別にトリッキーじゃないですから。まずはなんでも『する』、そのうえで『やめる』をしたほうがいい——というのは、NSCで講師をするときもめっちゃ言うことです」

学校現場は「怠惰を求めて勤勉に行き着く」が実践できない

実際、「教育実習に行って教員になってもいいなと思ったら、そうしていた」と言う山内さん。教育実習で大学受験並みに勉強し、毎日夜中まで授業の下準備をしたという。その中で、山内さんにとっての「教員の現実」がはっきり見えたそうだ。

「もう、めちゃめちゃ大変でした。どれだけ一生懸命準備しても、生徒にとってはそれが当然だから、授業はなんの反応もなかった。そのうえ、先生の人間関係や生徒の人間関係にも気を使う。そこまでやっても生徒からの人気はまったく出なくて。『めっちゃ大変やん』と、単純に割に合わないと思いました」

当時大学生だった山内さんは「友達感覚の先生像」を思い描いていたが、生徒は予想以上に年上として接してくる。埋まらない距離を感じると同時に、山内さん自身も生徒全員に平等に接することができない自分に戸惑ったという。

「教員の立場になれば自然と、人の好き嫌いはなくなるだろうと思っていました。でも、いざ教壇に立ったら全然ダメで。それを克服するのも大変だろうし、自分は向いていないと思いましたね。慣れれば下準備の時間も縮められただろうし、生徒全員とうまくやれたかもしれない。でも、そこまでしてこんな毎日を過ごすのは、すさまじいカロリーが必要だと感じたんです」

今でも仕事の取捨選択は「消費カロリー」で決めるという山内さん。教員の仕事は給与面から考えても、頑張りに見合う気がしなかった。そのうえ、公立学校の教員は公務員であるため、いくら頑張っても給与は変わらない。

「僕のテーマは『楽をして稼ぐ』なんです。教員はこのテーマから大いに外れていた。もちろん、最初から楽をできるとは思いません。『哲也―雀聖と呼ばれた男』という麻雀漫画があるんですが、房州という人物が、サイコロの狙った出目を本番で出せるようにサイ振りを猛練習するんです。そこで出てくるのが、『怠惰を求めて勤勉に行き着く』という言葉。僕もまさにこれで。後から楽ができるなら、いくらでも頑張れます。でも、教員の世界はそうじゃなかった。『日本の未来のために』『子どものために』と考えられる先生はすごいですよ」

「楽をして」と言うが、山内さんは日々忙しい生活を送っており、怠惰に暮らしているわけではない。「要らないことはなるべくしたくない、とずっと思ってきた」と語る姿からは、要らないことかどうかを判断すべく目の前のことに貪欲に取り組んできた過去がうかがえる。

「怠けていい人は、いくらでも怠けていいと思います。でも、怠けられるレベルにない人が怠けたら何にもならない。後輩芸人に『変な仕事しか来ない』と相談されることがありますが、『お前がそのレベルだからやで。その自分を受け入れろ』と思いますね。僕らも昔、15分のロケVTRを作るのに20時間も拘束されたりして、『なんでギャラこれだけやねん』とぼやいたりしました。でも結局、当時の自分に見合った仕事が来ているだけ。売れていて暇じゃない人には、そんな仕事こないですから。僕は今ようやく、怠けていいレベルに来たと思っています(笑)」

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