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「この木なんの木」の歌詞に通じる日立の本質 「日立とルマーダ」の将来像を小島社長に聞く

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従来の総合電機から「ルマーダ」事業を軸とした企業へと転身する日立製作所。小島啓二社長は「変貌の先」をどう見据えているのか。

日立製作所の小島社長
日立が推進している「ルマーダ」は小島啓二社長が中心となって2016年に立ち上げた(撮影:風間仁一郎)

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日立製作所の10年以上にわたる構造改革は、2022年に上場子会社がゼロとなったことで再編に一区切りがついた。今後は「ルマーダ」を軸に成長を目指すとするが、全貌がつかみにくい。小島啓二社長が描く将来像はどういうものか。ルマーダの展開策と併せて話を聞いた。

 

──すでに日立は総合電機の会社ではないように見えます。今は何の会社なのでしょうか。

データとテクノロジーをフルに使って、その時代の社会課題や、その顧客とともに取り組むのが最も適切だと思われる社会課題を解決していく「社会イノベーション事業」の会社だ。

時代や顧客によって課題は違う。「カーボンニュートラルという社会課題を解決する会社」では、時代の変遷とともに合わなくなる。社会課題は尽きないし、決めすぎていないところが自分は好きだ。

「社会イノベーション事業」の会社であるというパーパス(存在意義)を定めたのは中西宏明さん(故人、元会長)。リーマンショックのあった2008年度に大きな赤字を出した後、川村隆さん(元会長)が立て直し、それを引き継いだ中西さんが「日立は何の会社か」というのをセットした。

──当時の日立はコングロマリット(複合企業)で、上場子会社が20社以上ありました。

それぞれがいい会社で、その集合体としてグループと定義されていた。「和・誠・開拓者精神」という基本精神はみな共有していたが、それぞれのパーパスでそうとう独立して運営している事業体だった。そういう意味では、当時から何の会社かわからない会社で、それを「この木なんの木」と言っていた。

これを1つの共通したパーパスで運営し、グローバルなリーディングカンパニーを作ろうというのが中西さんの発想だった。以後、上場子会社は共通のパーパスに合うものを残し、違うパーパスで大きくなりたい会社は外に出してきた。東原敏昭会長がそれをすごい勢いで進めた。

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