1991年6月12日に、ソ連邦を構成していたロシア・ソビエト連邦社会主義共和国で大統領選挙が行われた。ロシアに大統領が生まれることも、その大統領が有権者による直接選挙によって選出されることも史上初の出来事だった。この選挙でボリス・エリツィン氏が当選し、同氏のソ連政治における影響は飛躍的に強まる。
ちなみにゴルバチョフ・ソ連共産党書記長も90年3月15日にソ連大統領に就任したが、これはソ連人民代議員大会(国会)による選出だった。しかもゴルバチョフ氏はソ連共産党にあてがわれた組織枠で人民代議員(国会議員)になっているので、有権者によって直接選挙されたことが一度もなかった。ゴルバチョフ氏との対立が強まる過程で、有権者から直接選ばれた国民の代表であるという事実を強調して、エリツィン氏は権力基盤を強化していった。
大統領選挙をめぐる各々の思惑
この選挙には、エリツィン氏以外にも5人が立候補していた。そのうち、最有力の対抗馬が90年12月まで首相を務めていたニコライ・ルイシコフ氏だった。ペレストロイカ派の政治家だ。もともとスヴェルドロフスク(現エカテリンブルク)の軍産複合体「ウラルマッシュ」の技師や工場長、総支配人を務めたテクノクラートだ(エリツィン氏とは同郷で、2人の関係は悪くなかった)。
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