日本とデンマーク「似て非なる」インクルーシブ教育、共に学ぶことの真の価値 「分離された特別支援教育」は何が問題か

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2つ目は、特別支援学校を卒業した20歳前後の障害のある生徒が、卒業後の実生活に徐々に近づいていけるような仕掛けがされていること。例えば、入学時は棟内の部屋で過ごすが、慣れてきたら少し離れた小さな家のような寮で自活をするなどの取り組みが行われています。

エグモント・ホイスコーレンでは、ボルダリングやハイキング、水泳、アート、ヨガなど「楽しさ」でつながるように授業が工夫され、一緒に人生を考えるという意味で心や体をフルに使いながら、対等な関係性を構築していくことを目指す。写真はボルダリングの様子

すべての子どもが、子どもたちの中で育つ世界を

世界におけるインクルーシブ教育は1994年のサラマンカ宣言と、2006年の障害者権利条約の2つの国際的な枠組みが大きな柱になっているといわれています。

サラマンカ宣言では、「Education for all」の推進を目的に話し合いがなされ、「すべての子どもは誰もが教育を受ける基本的権利を持ち」「特別な教育的ニーズを持つ子どもたちも通常の学校にアクセスしなければならない」と明言されました。

実はデンマークは、特別支援学校そのものをなくす志向のイタリアとは違って、特別支援学校、地域の学校に併設する特別学級、通常学級の中のインクルーシブという形態は日本と似ています。しかしペタゴーという個々の人間性や個別性を見抜いてそれぞれに合った個別ケアをする技術を身に付けた専門職が、保育園や幼稚園、地域の学校、特別支援学校、高齢者施設などで活躍し、適切な交流のデザインをしています。「すべての人は一緒に育ち、共に生きていくものだ」という社会の意識は圧倒的に日本より進んでいます。

私は14年から17年にかけて米国(テキサス州)に在住し、教職課程として特別支援の授業を取り、16時間地元の公立小学校で特別支援級(日本でいう通級〈Resources〉と、ほぼ全員が発話障害を持つ、比較的重い障害のある子が過ごすライフスキルというクラスの双方)に入りました。

米国では「どんな重い障害のある子であっても、まず通常クラス内で対応可能かということを第一選択肢とする」ということがIDEAという連邦法で定められています。発話障害がある自閉症の子、ダウン症の子たちも、同じ場所でランチを取り、体育や音楽、図工の授業は一緒に受けていました。

私の娘も地元の公立小学校に通っていましたが、英語がまったくしゃべれないにもかかわらず、ほとんどの時間を通常学級でクラスの子たちと一緒に楽しく過ごしました。学校のハロウィーンのパレードでは車いすの子が大きな竜の仮装をして登場。生徒も保護者もみんなで大喝采でした。

一方で、日本で重い障害のある子を持った保護者は「バリアフリーなどさまざまな法制度も進んできている。イベントも増えている。ただ、地域の学校との交流がほとんどなく、特別支援学校が終わると居場所の選択肢が極端に減ってしまう。親が先に死んでしまったら、この子たちはどうなってしまうのだろうか」と嘆きます。そして、小さな頃から保育園や学校でみんな一緒に「友達」として過ごすことができたなら、緩やかではあるかもしれないけれど、お互いの存在を尊重して認め合い、社会と接続しながら幸せに人生を送ることはできないかと切なる願いを持っているのです。

そのためには、「特別支援学校」「特別支援学級」「通級」などの形の問題もありますが、そもそも学校という集いの場で、障害のあるなしにかかわらず、皆が「よい出会い」をし、一緒に過ごせるような設計ができていかなければならないのではないでしょうか。

障害のある子どもに対して、上から目線でもなく、哀れみでもなく、持ち上げるでもなく、フラットな中にも、いろいろな人がいることが当たり前で、お互いに関心や興味を持ちながら、多様な人がいることを学び合える環境づくりが必要です。

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