国連から指摘「分離された特別支援教育の長期化」の問題点
今年の8月、「障害者権利条約」について、国連・障害者権利委員会による日本政府への審査が実施されました。「障害者権利条約」は2006年に国連総会で採択されたもので、障害者の権利の実現のための措置等を規定した、障害者に関する初めての国際条約です。
結果、教育の分野では、障害のある子たちが、とくにその程度が重い場合に特別支援学校への入学を実質的に要請され、地域の学校には実質的になかなか受け入れてもらえない状況や、障害のある児童生徒に対する合理的配慮が不十分であること、すべての子どもを包摂するインクルーシブ教育における教員のスキル不足など、さまざまな問題を指摘されました。英語では「Perpetuation of segregated special education」という言葉が使われ、「分離された特別支援教育の長期化」が指摘されました。「分離された特別支援教育」とは何なのでしょう?そして、何が問題なのでしょうか。
ノーマライゼーション発祥の国、デンマーク
私は、「探究学習」をテーマに教育活動をしており、日頃は学校の先生たちに研修を行うことが仕事のメインです。インクルーシブ教育の専門家ではありません。
しかし、昨年日本でも数例しかない遺伝性疾患を持ち、重度の肢体不自由と重度の知的障害とが重複した、重症心身障害児(重心児)のお父さんから連絡をいただいたことがきっかけで、重い障害がある子の保護者の方たちとお話をするようになりました。今は、寝たきりで、医療的ケアが必要な双子のお母さん、広汎性発達障害(自閉的傾向)でこだわりが強く、言葉では細かな感情などのコミュニケーションを取るのが難しい子のお母さんたちと一緒にFOXプロジェクトというインクルーシブ教育を考える場を持っています。
そうした対話の中で、「日本のインクルーシブ教育はとても遅れていると聞くが本当だろうか。私たちは実際に行くことはできないから、現場を見てきてほしい」と言われるようになりました。そこで、今年の夏、デンマークを訪れました。
デンマークは、よく知られているとおり、北欧(ノルディック)モデルの高福祉国であり、障害があっても、高齢者であっても安心して社会に参加して、地域で暮らせるような基盤を整えていくノーマライゼーション発祥の国です。その中でも強い印象を受けた訪問先が「エグモント・ホイスコーレン」です。
エグモント・ホイスコーレンは200名程度の学生のうち、4割程度が障害のある生徒です。地域の高校もしくは特別支援学校を卒業後、ここで数年を過ごし、地域社会で自律して生きていくための準備をします。そして、重い障害のある生徒が、自分のヘルパーとなる学生を面接のうえ選考し、19週間から24週間を一緒に全寮制で過ごすシステムとなっています。筋ジストロフィーなどの遺伝性疾患、脳性マヒなどの運動機能障害、自閉症などの発達障害などさまざまなケースがあり、人工呼吸器をつけている生徒もいます。
この学校の仕掛けで私が非常に優れていると思った点は2つあります。
1つ目は、障害者と健常者が「ケアする・される」という非対称な関係ではないこと。「障害」を中心に置いた授業づくりではなく、ボルダリングやハイキング、水泳、アート、ヨガなど「楽しさ」でつながるように工夫され、一緒に人生を考えるという意味で心や体をフルに使いながら、対等な関係性を構築していくことです。
2つ目は、特別支援学校を卒業した20歳前後の障害のある生徒が、卒業後の実生活に徐々に近づいていけるような仕掛けがされていること。例えば、入学時は棟内の部屋で過ごすが、慣れてきたら少し離れた小さな家のような寮で自活をするなどの取り組みが行われています。
すべての子どもが、子どもたちの中で育つ世界を
世界におけるインクルーシブ教育は1994年のサラマンカ宣言と、2006年の障害者権利条約の2つの国際的な枠組みが大きな柱になっているといわれています。
サラマンカ宣言では、「Education for all」の推進を目的に話し合いがなされ、「すべての子どもは誰もが教育を受ける基本的権利を持ち」「特別な教育的ニーズを持つ子どもたちも通常の学校にアクセスしなければならない」と明言されました。
実はデンマークは、特別支援学校そのものをなくす志向のイタリアとは違って、特別支援学校、地域の学校に併設する特別学級、通常学級の中のインクルーシブという形態は日本と似ています。しかしペタゴーという個々の人間性や個別性を見抜いてそれぞれに合った個別ケアをする技術を身に付けた専門職が、保育園や幼稚園、地域の学校、特別支援学校、高齢者施設などで活躍し、適切な交流のデザインをしています。「すべての人は一緒に育ち、共に生きていくものだ」という社会の意識は圧倒的に日本より進んでいます。
私は14年から17年にかけて米国(テキサス州)に在住し、教職課程として特別支援の授業を取り、16時間地元の公立小学校で特別支援級(日本でいう通級〈Resources〉と、ほぼ全員が発話障害を持つ、比較的重い障害のある子が過ごすライフスキルというクラスの双方)に入りました。
米国では「どんな重い障害のある子であっても、まず通常クラス内で対応可能かということを第一選択肢とする」ということがIDEAという連邦法で定められています。発話障害がある自閉症の子、ダウン症の子たちも、同じ場所でランチを取り、体育や音楽、図工の授業は一緒に受けていました。
私の娘も地元の公立小学校に通っていましたが、英語がまったくしゃべれないにもかかわらず、ほとんどの時間を通常学級でクラスの子たちと一緒に楽しく過ごしました。学校のハロウィーンのパレードでは車いすの子が大きな竜の仮装をして登場。生徒も保護者もみんなで大喝采でした。
一方で、日本で重い障害のある子を持った保護者は「バリアフリーなどさまざまな法制度も進んできている。イベントも増えている。ただ、地域の学校との交流がほとんどなく、特別支援学校が終わると居場所の選択肢が極端に減ってしまう。親が先に死んでしまったら、この子たちはどうなってしまうのだろうか」と嘆きます。そして、小さな頃から保育園や学校でみんな一緒に「友達」として過ごすことができたなら、緩やかではあるかもしれないけれど、お互いの存在を尊重して認め合い、社会と接続しながら幸せに人生を送ることはできないかと切なる願いを持っているのです。
そのためには、「特別支援学校」「特別支援学級」「通級」などの形の問題もありますが、そもそも学校という集いの場で、障害のあるなしにかかわらず、皆が「よい出会い」をし、一緒に過ごせるような設計ができていかなければならないのではないでしょうか。
障害のある子どもに対して、上から目線でもなく、哀れみでもなく、持ち上げるでもなく、フラットな中にも、いろいろな人がいることが当たり前で、お互いに関心や興味を持ちながら、多様な人がいることを学び合える環境づくりが必要です。
今、特別支援学校在籍者数は増え続け、地域の学校の特別支援学級・在籍児童数も増え続けています。一方で、学校現場はとても忙しく、OECDの調査でも日本の小中学校の教師の労働時間数は群を抜いた長さで先進国トップとなっています。その中で現場の事情を考慮に入れず、教師の気持ちを理解せず、特別支援の対応のみを求めても、現場はうまく機能しないかもしれません。
通常級の先生たちと話をしていると、特別な支援を要する子に対して、何もしないことがいいと思っているわけではありません。障害のある子どもたちをどう包摂していいのか、具体的なイメージがつかめていないのです。ただ一緒に教室にいるだけでは、よい出会いとはならずにむしろ差別意識を深めてしまうのではないかと心配しています。逆に言えば、「よい出会い」を設計する方法やスキルがあるなら、それを知りたいと思っているのです。
そのようなときに、エグモント・ホイスコーレンのように「楽しさ」でつながるような場をつくっていくことも大切なのではないかと夏のデンマーク訪問で強く感じました。日本は遠足、修学旅行、運動会などの特別活動が盛んで、「総合的な学習の時間」「総合的な探究の時間」もあります。すでにあるこうした仕組みを使って、意味のあるよい出会いをつくっていくことも有効かもしれません。
すべての子たちには価値があり、お互いに学び合える、そういう信念に基づいた学校設計がされていくべきだし、私たちもそういう社会・教育に向けて一歩一歩、歩んでいきたいと思っています。
(注記のない写真:すべて藤原氏提供)