JAL再建の稲盛氏「航空連合の移籍」を一蹴した訳 元副社長が語る、稲盛改革とJALに根付く哲学

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「JALで1番、稲盛哲学を体現している」と社員が異口同音に述べるJAL元副社長・藤田直志特別理事。稲盛氏がJALに遺した考え方と、それが今どう生きているかを語った。

稲盛和夫氏
稲盛氏の経営哲学はJALに根付いている(撮影:今井康一)
京セラやKDDIを創業したことで知られる稲盛和夫氏が2022年8月24日に亡くなった。同氏の晩年の最大の功績ともいえるのが、日本航空(JAL)の再建だろう。
2010年1月にJALが経営破綻した直後の2月、当時78歳だった稲盛氏が無報酬で会長職を引き受けた。同氏が持ち込んだ部門別採算、フィロソフィ経営などは今でもJALに深く根付いている。稲盛経営はコロナの逆風下でどのように生かされたのか。

 

2010年1月、JALは2兆3000億円という巨額の負債を抱え、経営破綻を迎えた。なぜJALは倒産を迎えたのか。破綻直後に旅客営業担当の執行役員となった藤田直志特別理事はこう振り返る。

藤田氏:経営破綻の理由は4つあると思う。

まず、公共事業という意識が強かった。どんぶり勘定をして全体で黒字を確保できれば、赤字路線も維持していかないといけないと考えていた。

次に運航や生産といった各部門の役員が自分の分野のことばかり考えていた。ほかの部門と協力し、改善していこうという考えがなく、サイロ化していた。

また、右肩上がりで成長してきたため、いつか収入が戻れば経営がよくなると信じ、コスト削減に踏み込んでいなかった。2000年代から成長が鈍化し、競争環境も厳しくなる中で、売り上げは想定以下で費用は計画通り出ていくという構図が続いていた。

キャッシュフローでも、半官半民の時代が長かったため、いつでもキャッシュが入るという意識が強かったが、時代とともに厳しくなっていった。キャッシュフローが明確になっておらず、資金調達においてシビアな管理ができていなかった。

JALのコスト意識を変えた稲盛氏

JALの採算意識を変えたのが、稲盛氏の2つの経営手法だった。1つ目が、運航・営業・生産など各部門で採算を明確にする「部門別採算」、2つ目が「アメーバ経営」だ。組織を6〜7人チームで分け、それぞれが計画を立て、毎月の収支が明らかになる。

加えて、会議も様変わりした。今まで経営会議では、本部長の後ろに助言をする社員がいたが、稲盛氏はそれをすべて禁止した。各部門の責任は本部長にあるという考えからだ。

藤田氏:私がいた営業では従来、目標収入がありそれを達成するために積極的に販売促進や広告宣伝を行っていた。もちろん費用の目標はあったが、われわれの営業活動から利益が出ているかという意識はほとんどなかった。

部門別採算とアメーバ経営が導入されたことで、自分たちがやっている活動がどう収支に影響するのかわかるようになり、つねに収支を考える風土に変わった。

例えば、飛行機を(空港で誘導する)ハンドリングを担う現場スタッフは6人くらいいる。

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