後編・通信新時代を開いた稲盛氏のダイナミズム 稲盛氏は「相手のことを真摯に考えろ」と叱咤した

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取材を受ける稲盛和夫氏
     写真は2000年撮影(撮影:大隅智洋)
京セラ創業者の稲盛和夫氏が2022年8月24日に亡くなった。90歳だった。1959年に京都セラミック(現京セラ)を設立、1984年に第二電電(現KDDI)を設立した。そして2010年、経営破綻した日本航空の会長に就き、再建し再上場に導いた(当時のインタビューはこちら)。「盛和塾」の塾長として経営者の育成にも力を入れた。
週刊東洋経済(2000年8月5日号)は、「新千年紀の日本人」(毎月1回連載)において稲盛和夫氏の記事を掲載。通信新時代を開いた稲盛氏のダイナミズムに迫りました。当時の記事を前編、後編に分けて再録します(本記事は後編です)。

その日、稲盛はガンを告知された。「やはり、ガンですわ。すぐ切らなきゃいけません」。手術の日を決めそのまま新幹線に乗って岡山の盛和塾の会合へ。講義をし、質疑応答をこなし、コンパをやり、帰りの新幹線でまた塾生たちの経営相談に乗る。

「塾長はいつも全力投球。自分を振り返って、あそこまで真摯になれるか」。入塾4年目、半導体商社PALTEKの社長・高橋忠仁は盛和塾に出席するたびに反省する。

中小企業経営者の悩みは深い。やっと採用した新人も、茶髪や元暴走族ばかり。家庭も学校も見放した連中に、挨拶の仕方から始まって、生きるとはどういうことか。体を張って教えるしかない。が、教えるほうも自信がない。自信のないオヤジたちを支えるのが、「相手のことを真摯に考えろ」と叱咤する稲盛である。

ノーベル賞の向こうを張って「京都賞」を創設

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