1994年の暮れ、塚本幸一(ワコール会長、京都商工会議所会頭=当時)がふらり、稲盛和夫の元にやってきた。妙にかしこまっている。
「オレ、年末で京商の会頭を辞める。お前、次の会頭をやってくれ」
稲盛は「全くやる気はありません」。副会頭になってはいる。が、自慢じゃないが、正副会頭会議には3年間で1~2回しか出席していない。「経済団体の長というのは、自己顕示欲の強い人がしゃしゃり出るものと違いますか。私、出しゃばりのタイプじゃありませんので」。
塚本が気色ばんだ。「そんならお前、オレも出しゃばり、目立ちたがり屋だから、会頭をやっとると見とんのか」。稲盛は「そう見とるよ」。
「目立つのが嫌い」のはずが、誰より目立っている
何ちゅうこと言うんや。オレは社業を犠牲にしてやってきたんや。お前は、自分の会社は立派にした。が、京都は経済基盤が弱いし、中小企業が多い。京都のため、社会貢献をしようとは、一つも思わんのか。
稲盛は心外だ。寄付にしても、財団を作るにしても、誰にも負けんくらいやってきた。社会のため、人のために尽くすのは私の人生観や。「なら、会頭やらんかよ」。見事、塚本にはめられたのである。
なってしまうと、稲盛は一気に走り出した。
京都市長選では、桝本頼兼市長を担いで会頭自ら最前線に立ち、1999年には17年間にらみ合ってきた京都仏教会と京都市の「和解」を演出。円高、規制緩和、ゼロ金利解除。京都から大胆に発言するたびに全国紙が大きく取り上げた。
「目立つのが嫌い」のはずの稲盛が歴代会頭の誰より目立っている――この「矛盾」が、稲盛である。
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