稲盛和夫氏が振り返った「JAL再建」の3年間 「航空事業は門外漢で、自信なんてなかった」

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稲盛和夫氏のインタビューを行ったのは2013年。その日現れた氏の体は、81歳とは思えない厚みと幅があり、活力がみなぎっていた。

インタビューに答える稲盛和夫氏
稲盛氏は「企業経営の根幹部分については、知っているつもりでした」と語った(撮影:今井康一)
京セラ創業者の稲盛和夫氏が2022年8月24日に亡くなった。90歳だった。1959年に京都セラミック(現京セラ)を設立、1984年に第二電電(現KDDI)を設立した。そして2010年、経営破綻した日本航空の会長に就き、再建し再上場に導いた。「盛和塾」の塾長として経営者の育成にも力を入れた。
『週刊東洋経済』は2013年5月25日号で、稲盛和夫JAL名誉会長のインタビューを掲載。再建の任務を終え、2013年3月末に取締役を退任したばかり。最後の大仕事となった、再建の3年間を振り返ってもらった。当時のインタビュー記事を再録します。

当たり前のことを、懲りずに何回も話し続けた

──JALの経営を引き受けた当初は、「自信がなかった」と語っていましたが。

もともと私は技術屋で、京セラ、KDDIを指揮してきたわけですが、航空事業についてはまったく無知で門外漢でした。自信なんてあるはずがなかったんですね。

ただ、企業経営の根幹部分については、知っているつもりでした。経営でいちばん大事なのは、幹部がどういう哲学、判断基準を持っているか。その基準が正しければうまくいきますし、間違えば会社は傾きます。

リーダーが私利私欲に走らず、利他の心で判断すること。要は人間として正しくあることを、経営でも考えなくてはいけませんよ、と話すことから始めました。

するとエリート幹部たちは、「なんでそんな当たり前のことを教わらなきゃならんの」という顔をする。それでも私は、「知ってはいるでしょうが、自分の身に付いていないでしょう」と、懲りずに何回も話し続けました。本当に納得してもらうまで、50回くらい話したと思います。

──京セラ流のアメーバ管理会計システムも効力を発揮しました。

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