「親子でマレーシアに教育移住」して見えた、日本の課題と求められる力とは? 日本の子どもが「自ら教育を選ぶ日」は来るのか

世界中で、試行錯誤している「教育改革」
よく「世界の教育は進んでいるが、日本の教育は遅れている」と言う人がいます。しかし、実は「教育を変えよう」という動きは日本だけではなく、米国・英国・シンガポールや中国をはじめ、世界中で起きています。各国とも試行錯誤を繰り返して、何度も教育改革を繰り返しているのが現状なのです。
私自身は、日本の公立小学校に子どもを通わせていました。しかし、世の中が変わっているのに、教育は昔のまま。子どもは学校に反発し、登校を嫌がりました。そこで、縁のあったマレーシアに教育移住することを決断し、今に至ります。
マレーシアに来てみたら、教育がそもそも1種類ではないことに驚きました。日本のように、黒板の前で教師が一方的に教えるスタイルもあれば、ディスカッションやリサーチを主にした学校、学校そのものに行かなくてもいい「ホームスクーラー」まで、いろいろな教育が「選べる」ことに気づきました。それ以来、わが家では子どもが主体となって、自分で必要な教育をその都度「選ぶ」というスタイルを採っています。
なぜ、世界中で教育が変わってきているのでしょうか。
それは、かつて「よい」とされた学校教育が、明らかに社会と合わなくなりつつあるからです。今、世界で起きているのは、「知識を授ける教育」から、「21世紀型教育」への流れです。不登校の子どもは、本質的にそこに気づいているのかもしれません。
「プロイセン型」から「21世紀型」の教育へ
もともと、世界の教育の多くは「知識を授ける型」でした。
このタイプの教育が始まったのは、18世紀。産業革命の時代に工場で働く人をつくるために作られた教育で、「プロイセン型」と言われています。「質の高い教育を、無料で、世界中のすべての人に提供する」というスローガンを掲げる教育NPO「カーン・アカデミー」で知られるサルマン・カーンは、プロイセンモデルの始まりをこう説明します。
サルマン・カーン『世界はひとつの教室』/ ダイヤモンド社より引用
今思うと、少し乱暴なようですが、当時は庶民が教育を受けること自体が画期的なことでした。そのため、先生が大勢を効率よく教えられる黒板、教科書を使ったスタイルは、子どもが多い時代には有益でした。
それが「知識を疑う型」に変わったのは、ここ20年くらいの話。インターネットが出てきて、「知識を覚えること」の価値が下がり、「知識を疑うこと」が重要な時代になったからです。いつの間にか、世界の教育の「教育」の常識が変化したことに、私もマレーシアに来て取材を始めて、初めて気づきました。