無自覚にやっている?子どもを傷つける「教室マルトリートメント」とは 川上康則「笑顔でいるためには安全基地が必要」
ただ、今は職場にそういった寛容さを求めるのは難しい時代だとも思っています。次から次へと新しい仕事が上から下りてくるような上意下達が強い流れになっていて、最近では新型コロナ対策もあるので放課後の職員室にはまったく余裕がありません。
さまざまな方針も有識者の声が優先されて現場の声が反映されず、教師も上からの圧を感じているような状態にあります。教育委員会が主催する研修会も温かく豊かな気持ちになって帰れるものだとよいのですが、圧をかけるような内容や雰囲気であることも少なくありません。実はこうした上からの連鎖が、教室マルトリートメントを引き起こしていると考えています。
──反面教師しかいないような職場の場合、教師が個人でできることはありますか。
子どもたちの安全基地になるのだと自覚し、周囲からの圧があってもそれを押しのけて明るく機嫌よく子どもたちに接することができなければ、教室マルトリートメントはなくならないと思います。そのためにもまずは自分の「安全基地」を外に見つけることが大事だと思います。
外部の研修会や研究会、セミナーなどに自ら出かけ、「いいな」と思う先生がいたら、その方の本を読んで「自分の考え方は間違っていない」と感じること。遠くて会えない、亡くなっていて会えないといった人の考えから学んで安全基地にするやり方もあります。つまり「私淑」することが大事です。
例えば私自身、高校で生活指導を受けたときに、ある先生から「おまえ、教師になれよ」と言われました。先生曰(いわ)く「大人への反発心や、もがく気持ちをわかっている大人こそが学校現場には必要なんだ」と。そのときは笑って返しましたが、今となってはその言葉は重く、「自分はつねに子どものもがきの代弁者であるか」と問い続けており、先生が他界されてからもそれが教師としての指針になっています。そんなふうに、人は出会い一つでやっていける場合があります。
──教育委員会や文科省に求めたいことはありますか。
いちばん大切な現場とのラポール(信頼関係)が築けていないように感じます。もっと現場の教師の声や子どもの声に耳を傾けていただけるとよいのですが、「あれもやれ、これもやれ」「あれもやるな、これもやるな」ばかりで、現場の教師たちに「自分たちは信頼されていない」と感じさせてしまっている。子どもだって「この先生、自分のことをわかってくれない」と思ったら授業は聞かないし、何を言っても響きませんよね。それと同じ状態になってしまっている今、まずは現場の声に耳を傾けていただき、教師がゆとりを持って子どもたちと向き合えるようにしていただいたほうが現場は頑張れるのではと思います。
このように厳しい状況下ですが、教師が最優先すべきは子ども。子どもたちとの1つひとつの瞬間を大切にし、温かく心地よい風で教室を包むことが大事だと思うのです。そのためにも現場にいる私たちは「自分も無自覚のまま教室マルトリートメントに陥る可能性がある」という視点を持ち、いつも機嫌よく笑顔で子どもたちと接していくことが重要だと思っています。
(文:田中弘美、注記のない写真:Graphs/PIXTA)
東洋経済education × ICT編集部
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