身を削る「聖職者メンタリティー」に変化なしの1年
――2021年を振り返り、教育現場の働き方改革の現状をどう捉えていますか。
コロナ禍だったので評価は難しいですが、消毒、検温、体調や出欠の管理、教室の換気など、日常業務での教員の負担は増えました。修学旅行や運動会などの行事が延期になるたびに仕切り直したり、コロナ禍で不安を抱える保護者への対応が増えたりといった負荷も大きかったと思います。
一方、負担が減った部分もあります。安全面から部活動の実施を減らす、式典や行事における保護者や来賓の参加はリモートにして簡略化する、修学旅行を遠足に変更するなど、規模を縮小するケースも多かったです。そのことで業務が楽になったという教員の声も聞きます。
卒業式では簡素化によって教員の負担が減っただけでなく、限られた時間だからこそ式典後に子どもたちにしっかり語りかけることができた、というエピソードもありました。教員たちは「素の子どもたち」に触れ、卒業式のあり方の答えをそこに見たのではないでしょうか。
――「運動会の観覧は学年ごとの入れ替え制となり、わが子の演目をまとめて見ることができてよかった」「PTAの仕事が減ったけれど、自分も含め誰も困っていない」といった保護者の声も聞きます。
部活動や行事を縮小しても問題なく学校は回ることがわかったし、よかった部分もたくさんあったんですよね。しかし教員の方々に聞くと、口をそろえて「今後は元に戻ると思います」と答えます。まだまだ従来のやり方こそが正しいと思っている学校や教員は多く、現場は感染状況が落ち着いたらコロナ禍前の教育活動に戻そうという雰囲気だそうです。
最終的な判断は現場ができるはずなのですが、現場では、子どもに手取り足取り指導してこそ教員であるとか、地域の声に応えなければという思いがそれだけ強いのでしょう。「子どもたちのために教員は身を削ってでも頑張る」という“聖職者メンタリティー”の意識や文化が非常に根強く、そこはコロナ禍を経験しても驚くほど変わらなかったと感じています。
今後、式典や行事もフルパッケージに戻るでしょう。コロナ禍で業務削減がいい方向に進んでいたのに、働き方改革に携わっている私としてはとても悔しいです。
管理職は「過剰サービス」にブレーキをかけるべき
――やはり聖職者メンタリティーから抜け出すことが大切だと思いますか。
そうですね。でも抜け出すのは本当に難しい。例えば、年賀状や暑中見舞いを子どもに出す習慣のほか、最近では6年生の担任が1年の思い出をまとめたDVDを、卒業式に配る行為も広がっていると聞きます。いずれも過剰サービスだと思いますが、これが好評だと、隣のクラスもやったほうがいいよね、翌年の6年生の担任もやるべきだよねという意見が出て、とくに若い教員はやらざるをえなくなってしまいます。
最初に行った教員は寄せられる感謝の声をうれしく思い、教師冥利に尽きるかもしれません。残業が増えても喜びや感動によって報われてしまうので、本人も周囲も逃れられなくなっていく。
しかし過剰サービスは、ほかの教員にとってはさらに時間外労働が増えるという、苦痛でしかない可能性もあります。すでに多くの教員が倒れています。聖職者メンタリティーに巻き込まれず、恨まれてもブレーキをかける存在が必要ではないでしょうか。それができるのは、現場の管理職しかいません。
さらに文部科学省や教育委員会など外部の圧力がかなり必要だと思います。例えば部活動は週に3日までにする、修学旅行を1泊にするなど、相当な外圧をかけないと、現場の教員が変わることは難しいのではないでしょうか。
――変形労働時間制の足元の影響はいかがでしょうか。
変形労働時間制はほとんど現場に入ってきていませんが、現場からは反対の声が多いです。一方で、勤務時間の管理は多くの学校で始まっていて、教員が時間を意識するようになったことは前進です。ただ、いわゆる給特法があるため、お金が絡まないから勤務時間の管理はずさんな印象で、業務が減るところまでには至っていません。
教員は、学校に子どもたちがいる間は時間割どおりにきちんと活動を進めます。しかし、子どもたちが帰った途端に“究極の労働者”から“究極の聖職者”になり、時間の管理をせずに働いてしまうから不思議ですよね。でも、教員は子どもの下校までは時間割どおりにやれているわけですから、上の立場の人によるマネジメントが重要になると思います。
――文科省や教育委員会、保護者に求めることはありますか。
明らかに不要な業務は積極的になくしていってほしいです。教員免許更新制廃止の表明は大きな動きでしたね。「全国学力・学習状況調査」の点数を上げるための施策を見直すなど、行政が減らせる部分はまだまだあります。あまり知られていませんが、部活動を平日は週3日までという運営に踏み切った自治体なども出てきています。
最近では教員の業務の多さを理解する保護者が増えています。派手な行事や式典は期待しておらず、その分もっといじめの対応をしてほしい、もっと授業に集中してほしいという声も実際にあります。学校は勝手に「多くの保護者が期待している」と捉え業務を減らせずにいる面があるので、保護者の皆様は過剰サービスだと思う点があれば、ぜひその声を学校にもっと届けてください。それが教員の業務軽減にもつながっていきます。
みんなが元気に笑顔で集うために「諦める挑戦」も大切
――働き方改革を進めるために、若い教員は何ができるでしょうか。
若い教員がいちばん長時間労働に巻き込まれていますが、先輩が大勢いる中で声を上げることはなかなか難しいことです。でも「現状の働き方はおかしい、変えたい」という気持ちを持っている仲間は、ほかにも必ずいます。部活の顧問も2人に1人はやりたくないと思っているのですから。同じ考えの人を見つけて、ぜひ意見交換を行ってください。
集団において、とくに 「子どものために」という意見は、たとえ賛成が少数だとしても正解として通ってしまいがちです。だから、絵本『スイミー』(レオ・レオニ著)の魚たちのように、複数人が同時に声を上げることが効果的だと思います。その力は「#教師のバトン」プロジェクトで発揮されたと思います。
若い人に限らず現場が声を上げていくことは大切です。例えば、教員免許更新制の廃止も、新たな学びの機会をつくるのはよいのですが、学んだことなどについて細かいチェックをするようなことはやめるべきだと私は思います。よりよい制度になるよう、教育界全体で声を上げていくことが重要ではないでしょうか。
また、2021年は「埼玉超勤訴訟」の判決も注目されました。埼玉県の公立小学校に教員として38年間勤めた男性が、残業代の支払いを求めた訴訟です。敗訴という厳しい結果でしたが、その方は控訴されたので引き続き応援していきたい。給特法の見直しはまだ可能性があると思うので、ここも声を上げていくべきところだと思います。
――22年の教育現場に期待したいことは何でしょうか。
この2年間、教育現場では、コロナ禍でやむをえず減らした業務がたくさんありました。その中でうまくいったものは新型コロナウイルスが収束した後も、続けてもよいのではと思います。
それは修学旅行の日数や行き先を減らす、部活の日数を減らすなどです。例えば部活が週3日になれば、限られた時間の中で効率よく練習を行う方法を考えるようになるなど、現場が変わると思います。コロナ禍の後に教育現場がうまく回る方法を、ぜひ考えてほしいです。
いくら美談があっても、その裏で何人もの教員が倒れ、去っているならば、その現場は健全とはいえません。そこに持続的な可能性はないと思います。
大切なことは教員も子どもたちも、みんなが元気に過ごすこと。「子どものために」と、今まで教員も教育委員会も私を含む教育学者もやるべきことを増やし続けてしまいました。でも、たとえ子どものためになることだとしても、それを諦めることも大切なのではないでしょうか。みんなが元気に笑顔で集える学校空間にするために、「諦める挑戦」を考えていただけたらと思います。
(文:酒井明子、写真はすべて内田良氏提供)