無自覚にやっている?子どもを傷つける「教室マルトリートメント」とは 川上康則「笑顔でいるためには安全基地が必要」
教室マルトリートメントが子どもたちに与える3つの悪影響
──教室マルトリートメントは、子どもの成長にどのような影響を及ぼすとお考えですか。
子どもの立場からすると、3つの悪影響があるのではないでしょうか。
1つ目は、不登校や登校渋り。感受性の強い子だと、重苦しい雰囲気だけで学校に行くのが嫌になってしまうと思います。また授業中に、指名されてすぐ正解を言えるタイプの子は、積極的に挙手しても「賢いためにすぐに答えを言われてしまうから」などの理由で指名してもらえなくなることがあります。そういうことが続くと、子どもの中に「頑張っても報われない」という気持ちが芽生え、不登校、登校渋りにつながる場合もあります。
2つ目は、学級の監視社会化。例えば、教師が厳密なルールを設け、誰かがミスやエラーをするたびに叱るとします。それが学級の正義になってしまうと、「先生、あの子がこういうことをしました」などのネガティブな報告をするようになる。とくに先ほど言った、頑張っても報われない子が努力を認めてもらいたいあまりに監視役の一端を担いがちです。そして、ミスやエラーを指摘されがちな子も、自分より弱い立場の子を見つけて「あの子もこんなことをしています」と報告するようになり、学級全体が監視社会化するおそれがあります。
3つ目は、主体的に考えて行動する子が育たなくなるということ。子どもたちは先生の機嫌を損ねないよう、つねに顔色をうかがいながら行動するようになり、忖度(そんたく)することを学びます。悪いことはしなくなるけれど、よいこともしなくなり、結局主体的に考えて行動しなくなってしまいます。
──教室マルトリートメントに陥りやすい教師の特徴などはあるのでしょうか。
過去に受けてきた教育歴や初任時や若手時代に出会った教師の考え方・言い方が影響しているケースや、「こうあるべき」という思いの強い教師が焦りから陥ってしまう傾向は見られますが、教師の誰もが皆、教室マルトリートメント予備軍です。
文部科学省や教育委員会も求める教師像などを打ち出していますが、教師という職業には「こうあるべき」という美学が付きまとっています。教師の心の中にもそれぞれ美学やプロフェッショナリズムがあり、その期待値に達していないと恥ずかしさが生まれ、それが焦りになって子どもたちに向かうわけです。
また、他者からの評価に関わる対外的な恥ずかしさもあります。例えば、運動会や発表会などはやはり出来栄えを意識するので、期待値に達していないと恥ずかしいと思ってしまう。それで子どもたちに強い圧をかけてしまう教師は少なくありません。
教職はこの対内的な恥ずかしさと対外的な恥ずかしさの二重構造でできていて、感情が揺さぶられる場面が幾度となく押し寄せてきます。それで心がざわついて、不安や焦りを子どもたちにぶつけやすくなってしまう。だから、感情は揺さぶられるものだし、それをコントロールすることに対して給与が支払われている職業だと認識し、教壇に立つことが大事だと思います。
──教室マルトリートメントが横行する学校には、何か特徴がありますか。
職員室にまずい雰囲気が漂っています。例えば、職員室の学年団の会話が「今日はあの子を泣かせてやった」といった武勇伝だったり、子どもの失敗をあげつらって盛り上がったりすることがあります。そういう学年団の先生に受け持たれる子どもたちは、やはり落ち着きがないです。
教師が「子どもの安全基地」であるためにできることとは?
──防止策や改善策はありますか。
管理職は、先ほどの「恥ずかしさの二重構造」を理解し、「それにとらわれなくていいからね」と繰り返し言ってあげることが大事。そういう管理職がいるだけで安心できるのではないかと思います。
また、私自身も「いい歳して叱られちゃった」「あの授業での一言は余計だったなあ」などと、自分の失敗や反省をフランクに話すようにしています。そうすると、「その言葉は学級によくない風を吹かせていたかもね。でも次があるよ」というふうにお互いにアドバイスし合えるようになります。管理職や先輩が率先し、自己開示できてトライ&エラーが認められる朗らかな雰囲気をつくっていくことが大切だと思います。