対話で合意形成する力を育む「本質観取」は小学生でもできるといえる訳 苫野一徳「民主主義の本質に基づく対話の場を」

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強引な誘導はいけませんが、ファシリテーターが答えを持っているわけではないので、先生も一対話者として入っていいと思います。というより、その時間を楽しみ、一緒に答えを探していく姿勢がいちばん大事なことかもしれません。

コツとしては、類似概念や反対概念と比べたりするといいですね。自由がテーマなら「自分勝手とどう違う?」「どういうときに不自由だと思う?」などと投げかけると本質が浮かび上がりやすくなります。

また、私のファシリテートを分析してくださった人たちによると、私は「なるほど」「確かに」という言葉をよく使うそうで、これが安心感につながったり対話を促進したりするようです。「何か違和感ある人いる?」という声かけも大事らしく、誰かが置き去りにされていないかはつねに意識したいところです。

いつでも深い共通了解にたどり着く必要はなく、「今日はちょっとこの本質を考えてみよう」と、軽く10分程度話し合うところから始めるのもよいと思います。私も親子でよくやっています。

――適した人数や頻度はありますか。

ちょうどいいのは5~12人くらい。クラス全員でやるのは難しいですが、小学4年生以上であれば工夫次第で可能だと思います。

例えば、4~5人のグループに分かれ、問題意識の共有、事例出し、キーワード出しと、それぞれ5分程度で進め、どんなキーワードが出たかクラス全員でシェア。そしてキーワードを深め、最後にグループごとの本質観取を発表する。クラス全体で1つの共通了解にたどり着かなくても、何となく共通の契機が見えてくれば上出来かなと思います。慣れてくれば、子どもたち自身でファシリテーターもできるでしょう。

多くの子どもたちに本質観取を体験してほしいと願う一方、授業などで強制するようなことはしたくないという思いもあります。でも、年に2~3回くらいは全員が経験してみてもよいと思っています。あとはやりたい人たちが集まってやればいいのかなと。

民主主義社会の根幹を支える「対話を通した合意形成」の経験が、日本人はあまりにも欠如しています。それゆえ、その経験が積める本質観取を学校で行う価値は高いのではないでしょうか。

――年に数回でも機会があると、最初に指摘されていた子どもたちの対話の懸念点なども解消されていくと思いますか。

はい、何が問題や事柄の本質かという視点があるだけで、対話の質は変わってきますから。本質観取を続けている子は、「それって何のためだっけ?」という言葉が自然に出てきます。「そもそもさ……」と本質を考えることができる子どもたちを育むためにも、もう少しメソッドを整備し、将来的にはファシリテーターを養成できたらと考えています。

・「みんなのルールメイキング宣言」のダウンロードはこちら

(文:編集部 佐藤ちひろ、写真:苫野一徳氏提供)

東洋経済education × ICT編集部

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小学校・中学校・高校・大学等の学校教育に関するニュースや課題のほか連載などを通じて教育現場の今をわかりやすくお伝えします。

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