対話で合意形成する力を育む「本質観取」は小学生でもできるといえる訳 苫野一徳「民主主義の本質に基づく対話の場を」

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はい、まさに対話を重ねて作りました。この宣言の「3つの原則」は、憲法・教育基本法・子どもの権利条約を基に、個人の尊重と民主的な市民の育成、子どもの意見表明権を大原則としました。豊かな対話の場にするためのポイントも「9カ条」にまとめています。校則の見直しなどの際、ぜひ参考にしていただきたいです。

――授業における対話で気がかりな点はありますか。

主体的・対話的で深い学びのために、いわゆる「話型」を採り入れている現場は多いですが、「私は~だと思います。その理由は~だからです」など、話し方が決められていると自由な言葉が飛び交いにくいと感じます。子どもたちが、本当に自分事になっている問いについて対話を重ねていけば、みんな頼もしいくらいに「自分の言葉」を磨いていくものです。

思考力や多様性理解が深まり、対話への希望も持てる

――苫野先生は、対話を通じて共通了解を見いだすために哲学対話が役立つとし、その奥義中の奥義が「本質観取」だとおっしゃいます。

哲学の営みでいちばん大事なのが本質観取。簡単に言うと、物事の本質を言葉にしていく営みです。幸せとは何か、よい教育とは何かなど、「意味や価値」の本質をつかみ取っていくのです。

もちろん、絶対に正しい本質があるわけではありません。絶対の真理がない中、対話を通じて「なるほど、確かにそれは本質的だなあ」とみんなが納得できるエッセンスを見いだし言葉にしていくことが本質観取です。

――子どもたちにもできるのでしょうか。

はい。多くの子どもたちと本質観取をやってきましたが、小学校低学年でもできます。これは先生方や保護者の方に広く知っていただきたい点です。さらに、本質観取を続けると、思考力や言葉のセンスが目に見えて深まっていく場面に出合うことがよくあります。

例えば先日も、本質観取を一緒に続けている小中学生たちと「学びとは何か」という本質観取をしました。彼らが最初に言ったのは、「勉強はやらされている感があるけど、学びは自分のものになっている感じがあるよね」ということでした。

さらに「学校は与えられた問いばかり。でもそれを自分の問いにできれば、学校の勉強も学びになるよね」「本質観取って、いつも学びだなと思う」といった言葉をどんどん紡ぎ合う。最終的には「自分自身の問いと気づきを通して生が豊かになっていくことが学びだ」という本質観取がなされました。

――子どもが本質観取を行うことの意義とは?

本質観取をやった子の多くが「めちゃくちゃ楽しかった」と言います。決められた正解にたどり着くのではなく、対話を通して自分たちで答えを見いだし合っていくクリエーティブな営みなので、とてもワクワクするそうです。

同時に、自分の独り善がりな考えに気づいたり、思考が深まり視野が広がっていったりする点でも意義は大きい。多様な立場や異文化への理解にもつながります。

学校では、共通了解を見いだそうとしない対話や、いわゆる「揺さぶり」が目的になっている道徳授業なども多いです。それはそれで大事ですが、そればかりだと対話にあまり希望が持てなくなってしまうようにも思います。本質観取で「みんなでここまで納得を得られるんだ」という経験を積むと、対話への希望が持てるようになると感じています。

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