「子どもの対話」における問題の原因は大人側にある

――協働的な学びが重視されるほか、学校全体で校則を見直す動きなどもあり、子どもたちが話し合う機会は増えているかと思います。学校における「子どもたちの対話」の現状をどうご覧になっていますか。

校則改正の流れには、すごく希望を持っています。一方で、子どもたちに校則の見直しを任せるとルールがより厳しくなるという問題がしばしば指摘されており、その点は気になっています。

これは決して子どもがこまごまとしたルールを求めているわけではなく、私は「大人側の問題」だと捉えています。

そもそもルールとは、お互いの自由を守り尊重するために、自分たちで作り合っていくものです。本来なら「みんながより自由になるためのものがルール」だという本質を最初に共有しなければいけません。

それをせずに子どもたちに任せてしまうと、「ルールは自分たちを縛るもの」というイメージを持っている子どもたちは、問題になりそうなものはどんどん禁止するという発想になってしまいがちです。

安易に多数決に流れてしまう問題もよく起きています。これも「民主主義=多数決」と誤解している大人が多いことが影響していると感じます。多数決は「多数者の専制」といわれるように少数派の排除につながるものであり、民主主義の本質は断じて多数決ではありません。

民主主義の本質は、まずはすべての人が対等な存在だと認め合うこと、そのうえで、みんなの利益になる合意を対話の中で見いだし合っていくことです。選挙や国会での議決は多数決ですが、それは「この場合は多数決で決める」と事前に合意しているからなのです。

誰かの不利益になっていないか、誰かを置き去りにしていないか。そういった民主主義の本質を基盤に、実りある対話を通じて合意形成していく場を大人がつくれていないことは、極めて大きな問題だと思います。

苫野一徳(とまの・いっとく)
哲学者、教育哲学者。熊本大学大学院教育学研究科准教授。『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)、『「学校」をつくり直す』(河出新書)、『ほんとうの道徳』(トランスビュー)、『はじめての哲学的思考』(ちくまプリマー新書)など著書多数

――苫野先生は、対話的な校則の見直しを推進する「みんなのルールメイキング」の委員会メンバーでいらっしゃいます。昨年、参加した中高生、先生、専門家の皆様で「ルールメイキング宣言」というものを作られたそうですね。

はい、まさに対話を重ねて作りました。この宣言の「3つの原則」は、憲法・教育基本法・子どもの権利条約を基に、個人の尊重と民主的な市民の育成、子どもの意見表明権を大原則としました。豊かな対話の場にするためのポイントも「9カ条」にまとめています。校則の見直しなどの際、ぜひ参考にしていただきたいです。

――授業における対話で気がかりな点はありますか。

主体的・対話的で深い学びのために、いわゆる「話型」を採り入れている現場は多いですが、「私は~だと思います。その理由は~だからです」など、話し方が決められていると自由な言葉が飛び交いにくいと感じます。子どもたちが、本当に自分事になっている問いについて対話を重ねていけば、みんな頼もしいくらいに「自分の言葉」を磨いていくものです。

思考力や多様性理解が深まり、対話への希望も持てる

――苫野先生は、対話を通じて共通了解を見いだすために哲学対話が役立つとし、その奥義中の奥義が「本質観取」だとおっしゃいます。

哲学の営みでいちばん大事なのが本質観取。簡単に言うと、物事の本質を言葉にしていく営みです。幸せとは何か、よい教育とは何かなど、「意味や価値」の本質をつかみ取っていくのです。

もちろん、絶対に正しい本質があるわけではありません。絶対の真理がない中、対話を通じて「なるほど、確かにそれは本質的だなあ」とみんなが納得できるエッセンスを見いだし言葉にしていくことが本質観取です。

――子どもたちにもできるのでしょうか。

はい。多くの子どもたちと本質観取をやってきましたが、小学校低学年でもできます。これは先生方や保護者の方に広く知っていただきたい点です。さらに、本質観取を続けると、思考力や言葉のセンスが目に見えて深まっていく場面に出合うことがよくあります。

例えば先日も、本質観取を一緒に続けている小中学生たちと「学びとは何か」という本質観取をしました。彼らが最初に言ったのは、「勉強はやらされている感があるけど、学びは自分のものになっている感じがあるよね」ということでした。

さらに「学校は与えられた問いばかり。でもそれを自分の問いにできれば、学校の勉強も学びになるよね」「本質観取って、いつも学びだなと思う」といった言葉をどんどん紡ぎ合う。最終的には「自分自身の問いと気づきを通して生が豊かになっていくことが学びだ」という本質観取がなされました。

――子どもが本質観取を行うことの意義とは?

本質観取をやった子の多くが「めちゃくちゃ楽しかった」と言います。決められた正解にたどり着くのではなく、対話を通して自分たちで答えを見いだし合っていくクリエーティブな営みなので、とてもワクワクするそうです。

同時に、自分の独り善がりな考えに気づいたり、思考が深まり視野が広がっていったりする点でも意義は大きい。多様な立場や異文化への理解にもつながります。

学校では、共通了解を見いだそうとしない対話や、いわゆる「揺さぶり」が目的になっている道徳授業なども多いです。それはそれで大事ですが、そればかりだと対話にあまり希望が持てなくなってしまうようにも思います。本質観取で「みんなでここまで納得を得られるんだ」という経験を積むと、対話への希望が持てるようになると感じています。

「本質観取」を授業に取り入れるコツとは?

――本質観取を学校で行うなら、どの教科がやりやすいでしょうか。

ことさら「本質観取」と言わなくても、「これって何のためだっけ」といったことは、日常的に考え合うといいと思います。あえて教科でといえば、道徳はやりやすいと思います。

本質観取は、自由や幸せといった「意味」や、正しさとは何かといった「価値」について対話しますが、道徳の内容項目はまさに意味や価値に当てはまるのでテーマ設定がしやすいでしょう。ただし、「友情」などのデリケートなテーマを扱うときは注意が必要です。

私のゼミの卒業生で、小学校高学年の道徳授業に本質観取を取り入れた先生がいますが、彼は運動会前に「協力」をテーマにするなど、ホットな話題に寄せていましたね。

――具体的にはどんな流れで進めるとよいですか。

哲学者の西研先生が整備された方法を踏まえて私がアレンジした手順をご紹介しますね。仮にテーマは「自由とは何か」としましょう。

【本質観取の手順】
1.ルールの共有
2.各自の問題意識の共有
3.事例を出し合う
4.共通のキーワードを見つける
5.「これだけは欠かせない」契機を言葉にする
6.当初の問題意識に答えるものになっているか点検

まずは最初に先生と子どもたちの間で、誰もが対等な対話者であることを共有します。「すぐ否定したりけんか腰になったりせず、まずはしっかり聞いて受け止めることから始める」という対話のルールと、「絶対に正しいことはないけれど、みんなで『なるほど』と言えるところを見つけていく」という姿勢を共有しましょう。「発言したくなかったらしなくてもいい」というルールがあってもいいかもしれません。

次に、「自由の本質観取をすると、自分にはどんないいことがあるか」について、グループで話し合い、各自の問題意識をある程度明確にしておきます。

そのうえで、「これって自由だな」という事例をみんなでたくさん出します。すると、「やりたいことができる」「解放感」「わがまま放題では、争いになるから自由じゃなくなるかも」など共通するキーワードが見えてくるはずです。

そしてそのキーワードを深掘りし、「これだけは欠かせない」という契機を言葉にしていきます。以前子どもたちとやったときは、「生きたいように生きられること。ただし、人に危害を加えない範囲で」という言葉になりました。

最後に、当初の問題意識に本質観取した言葉が何かしら答えるものになっているかを点検すると、より本質観取の意義が見えてきます。例えば「どうすれば自由に生きられるか」という問題意識だったら、そもそも何が自分の「生きたいように生きる」なのか知らなければなりませんよね。物事の本質が見えてくると、何をどう考えればよいのか筋道が明確になるんです。

――授業で本質観取を行う先生に取材したところ、「表現力や語彙力が上がった」「話し合いの場で思いを語れるようになった」など子どもたちの成長を感じる一方、「発言を待てずリードしたくなってしまうときがある」「共通了解に至るのが難しい」という悩みも聞きました。ファシリテートのコツはありますか。

強引な誘導はいけませんが、ファシリテーターが答えを持っているわけではないので、先生も一対話者として入っていいと思います。というより、その時間を楽しみ、一緒に答えを探していく姿勢がいちばん大事なことかもしれません。

コツとしては、類似概念や反対概念と比べたりするといいですね。自由がテーマなら「自分勝手とどう違う?」「どういうときに不自由だと思う?」などと投げかけると本質が浮かび上がりやすくなります。

また、私のファシリテートを分析してくださった人たちによると、私は「なるほど」「確かに」という言葉をよく使うそうで、これが安心感につながったり対話を促進したりするようです。「何か違和感ある人いる?」という声かけも大事らしく、誰かが置き去りにされていないかはつねに意識したいところです。

いつでも深い共通了解にたどり着く必要はなく、「今日はちょっとこの本質を考えてみよう」と、軽く10分程度話し合うところから始めるのもよいと思います。私も親子でよくやっています。

――適した人数や頻度はありますか。

ちょうどいいのは5~12人くらい。クラス全員でやるのは難しいですが、小学4年生以上であれば工夫次第で可能だと思います。

例えば、4~5人のグループに分かれ、問題意識の共有、事例出し、キーワード出しと、それぞれ5分程度で進め、どんなキーワードが出たかクラス全員でシェア。そしてキーワードを深め、最後にグループごとの本質観取を発表する。クラス全体で1つの共通了解にたどり着かなくても、何となく共通の契機が見えてくれば上出来かなと思います。慣れてくれば、子どもたち自身でファシリテーターもできるでしょう。

多くの子どもたちに本質観取を体験してほしいと願う一方、授業などで強制するようなことはしたくないという思いもあります。でも、年に2~3回くらいは全員が経験してみてもよいと思っています。あとはやりたい人たちが集まってやればいいのかなと。

民主主義社会の根幹を支える「対話を通した合意形成」の経験が、日本人はあまりにも欠如しています。それゆえ、その経験が積める本質観取を学校で行う価値は高いのではないでしょうか。

――年に数回でも機会があると、最初に指摘されていた子どもたちの対話の懸念点なども解消されていくと思いますか。

はい、何が問題や事柄の本質かという視点があるだけで、対話の質は変わってきますから。本質観取を続けている子は、「それって何のためだっけ?」という言葉が自然に出てきます。「そもそもさ……」と本質を考えることができる子どもたちを育むためにも、もう少しメソッドを整備し、将来的にはファシリテーターを養成できたらと考えています。

・「みんなのルールメイキング宣言」のダウンロードはこちら

(文:編集部 佐藤ちひろ、写真:苫野一徳氏提供)