給食がなくなる夏休みが苦しい、児童文学が描く「子どもの貧困」のリアル 作家・中島信子『八月のひかり』に込めた思い
その第1回通常総会に取材として出席した際、理事長が「今は見えない貧困ではなく、“見せない”貧困です」とおっしゃったのです。私が子どもの頃はみんなが貧しかったので、貧困が当然のように見えていました。それが、現在は貧困であることを見せないようにするのです。その言葉に大変なショックを受けました。また、「長い休みに入ると、貧困家庭の子どもは非常に苦しい」とも聞きました。給食で生きている子が現実にいるのです。夏休みなど長い休みになると、給食がなくなる。それがどんなに大変なことなのか。そこで、(夏休みを舞台にしよう)と考え、一気に書き始めました。
「なぜ自分だけが」と苦しむ子どもがいる
──食べることに精いっぱいな美貴たちの日々は非常にリアルですが、モデルはいるのでしょうか?
モデルはいません。貧困家庭の子を取材することはできませんし、もともと私はさまざまなマイノリティーの子どもを描いてきましたが、どの物語も子どもへの取材をしたことはありません。美貴ちゃんも勇希君も、原稿用紙から立ち上がってきた人物なのです。
『お母さん、わたしをすきですか』(ポプラ社)という作品で書いたように、私は親と確執がある子ども時代を過ごしました。何かあると私のせいにされ、たびたび母に夜の外に出されていました。当時は街灯なんてありませんから、夜は真っ暗です。
私が小学3年生の時、弟が初めて外に出されて大泣きしました。かわいそうにと思った私は一緒に外に出て、弟をひざに乗せて「月が出た出た」を歌いました。しばらくして雨戸が開き、弟が飛び込んでいきました。私も入ろうとすると、「あなたは好きで出たのだから入れません」と母が目の前で戸を閉めました。
その時、拳を口に入れて大泣きし、「この悲しみをいつか大人にわかってほしい。それを伝える人になろう」と思いました。そして、親に疎まれるつらさ、先生に理解されないつらさ、その時に見た青空や夕焼けの色、風、すべて覚えておこうと決めたのです。自分の中に取り込んだその記憶があるので、子どもが描けるのかなとも思います。
──そうして『八月のひかり』が生まれたのですね。
実は、原稿が書き上がった時、担当してくださった編集者がご家庭の事情で会社を辞めてしまい、原稿が宙に浮いてしまいました。しかし、その頃「フードバンク狛江」に入会して活動するようになり、理事長から「その物語を早く読みたい。なぜ営業しないの」と言われたのです。そこで、戦争児童文学を出版していた汐文社に原稿を送ってみました。2カ月後に連絡があり、トントン拍子に出版が決まり、上梓されました。手を入れたのは3行のみ。学童について取材をし直し、間違いがないかを確認した点でした。
──この物語を通じて最も伝えたいことはどんなことでしょうか。
「大人よ、わかってくれ」ということでしょうか。フードバンク狛江では子育て世帯への食品提供を行うほか、学習支援に集まる子どもにお菓子や飲料を提供もしています。食品お渡し会でお菓子を「2つまでね」と言うと、子どもたちはどれにしようか、あれにしようかとものすごく真剣に選びます。
私の子ども時代はお菓子といえばお煎餅やかりんとうくらいで、お菓子屋さんそのものが身近にありませんでした。しかし、現在は違いますよね。貧困家庭の子どもの中には、お菓子売り場に行かないという子もいると聞きます。何でもあるからこそ、自分だけが手に入れられないつらさがあるのです。貧困の中にいる子は「なぜ自分だけが」という思いで生きてもいます。給食だけで生きていかなければいけない子もいます。そういう現実があるということを多くの人に知ってほしいですね。