初めて小学校や中学校に通うとき、あるいはクラス替えがあって不安なときに、担任の先生が不在のままという児童生徒がいる(もっとも、私は学級担任制には功罪があり、学年の複数人がチームで担任を持つ学年担任制などのほうがよいかもしれないと考えている。だが、学年担任制などであっても、教員不足が生じては、厳しい状況となりうる)。
教頭や教務主任など、本来は担任を持たない先生が代行するケースもあるが、もともととっても忙しい職だ。一生懸命頑張ってくれている人がほとんどだろうが、やはり、子どもたちの声にじっくり耳を傾ける余裕がないという人もいることと思う。
教員不足のために、中学校や高校では専門ではない教科の先生から教わる生徒も多い。極端なケースでは、体育の先生が国語を担当する。運、不運で済ませていい問題ではないはずだ。
小学校での英語教育の推進を声高に主張した専門家や産業界は多いが、専科教員(英語が専門の教員)がいないところも多い(予算上付いていないケースと、人手不足で付けられないケースがある)。英語が苦手な先生が他教科も準備しつつ、特別支援などのケアも丁寧に対応しながら、何とか英語の授業をするのである。英語嫌いの子が増えないか、私は心底心配だ。
「教員不足さほど深刻ではない」説が見落としていること
ただし、教員不足と言っても、「さほど深刻な話ではない」と捉える識者や政府関係者などもいるようだ。ここでは、こうした疑問や批判について検討しておきたい。
1つは、教員不足の状況認識についてである。昨年度の文科省調査によると、全国の教員不足数は2065人(2021年5月1日時点※)で、学校に配置する予定の教員定数と比べると、不足率は0.25%に過ぎない。教員不足が生じている学校数の割合(同じ5月1日時点)で見ても、4.8%。全体から見れば、ごくわずかではないか、という見方がある。
だが、この見立てにはいくつか誤解、問題がある。第1に、文科省の調査にはさまざまな問題や限界があった。2月の本連載「全国で2558人『先生足りない』教員不足の実態、専門家どう見る?」でも指摘したが、この調査は昨年度4月と5月の状況にすぎず、年度途中に不足が発生ないし深刻化した地域、学校も多い。
また、非常勤講師などで何とか不足を埋めた自治体であっても、充足しているとカウントされてしまっている。実際は、原則授業のみ担当する非常勤講師ばかりが増えても、授業以外の業務(生徒指導や事務作業、部活動など)は、常勤の教職員が少なくなった人数でやりくりするので、現場の負担は重い。
さらに、文科省の資料によると、1人以上の不足が発生している学校数のみをカウントしているようだ。例えば、常勤講師が1人見つからず、その人の授業時間の半分を1人の非常勤講師で埋めている学校は、不足は0.5人分で、不足は1人以上ではないから、不足ゼロとカウントされている。つまり、文科省調査上の数字よりも、教員不足による教職員と子どもたちへの影響は多くの学校、学級に及んでいる可能性が高いのだ。
第2に、不足率は0.25%にすぎないというのは、文科省調査では事実だが、この分母は、各都道府県などが配置する予定の全教員数なので、絶対数は多くなり、不足率としては小さな数字の印象を受けやすいものになる。だが、本来、不足、欠員はゼロであることが望ましい。前述のとおり、一人ひとりの子どもたち目線に立てば、全教員数がどうであれ、自分のクラスの担任がいない、あるいは一部の教科で専門外の先生から教わるという事態では、大きな被害を受けかねない。