ソ連崩壊後に絶頂へ向かったグローバル化。ロシアの侵略戦争がその流れを完全に止めた。
財務官やアジア開発銀行(ADB)総裁を歴任した中尾武彦が、大蔵省(現財務省)の課長補佐だった頃の話だ。
1992年3月20日、中尾は上司に同行して官邸を訪ねた。時の首相は宮沢喜一。国際通貨基金(IMF)への加盟交渉で、ロシアが出資シェアを4%程度にしてほしいと要求していることが説明された。この数字は経済や貿易の規模から計算され当面の財政負担はないのだが、その国が世界経済の中でどの程度の位置を占めるのかが可視化される。ロシアは2%台が妥当なところだった。
「なぜ彼らはそんな大きな割り当てを主張できるのか」
戦後の日本がIMFに加盟する際の苦労や、努力して出資比率を拡大していった経緯を熟知している宮沢から見れば、「入れてもらう側」のロシアが過大な要求をできるのは不思議だったのだろう。
この記事は有料会員限定です。
ログイン(会員の方はこちら)
有料会員登録
東洋経済オンライン有料会員にご登録頂くと、週刊東洋経済のバックナンバーやオリジナル記事などが読み放題でご利用頂けます。
- 週刊東洋経済のバックナンバー(PDF版)約1,000冊が読み放題
- 東洋経済のオリジナル記事1,000本以上が読み放題
- おすすめ情報をメルマガでお届け
- 限定セミナーにご招待
トピックボードAD
有料会員限定記事
無料会員登録はこちら
ログインはこちら