──予想に反し20、30代の来場者がとても多くて驚きました。
実体験で石岡瑛子の名を知っているのは、僕ら40代半ばが下限でしょうね。彼女が亡くなったとき、僕は美術大学で約80人のクラスを持っていたんですけど、彼女を知っていたのはたった2人でした。つまり、現在30代前半でアート系の仕事をしている人間でその程度だから、今の20代はほぼ知らないと言っていい。ところがツイッター上には「すごい熱量」「衝撃」「圧倒的な美力」「もはやパワースポット」などのコメントがあふれていて、それが多くの若者を引きつけているんだと思います。
──ご自身も、彼女がパルコの広告で一躍“時の人”となった、ちょうどその頃のお生まれですね。
僕が瑛子さんを知ったのは高校生のとき。映画『ドラキュラ』の衣装で米アカデミー賞を受賞し、すごい日本人がいるんだなと思いました。その後、就職して雑誌『広告批評』に携わる中で“瑛子さん伝説”をさんざん聞かされた。初めて取材でお会いしたのは、彼女が2008年北京オリンピック開会式の衣装を準備していたとき。伝説の人が突如リアルな人として僕の前に立ち現れた。
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