──2012年、遺稿発見時は大きく報じられたのですか?
米ニューヨーク・タイムズ紙を筆頭に「ついに発見」という大見出しが躍りました。1938年に一連の作品でノーベル文学賞を受賞して以降、しばらく顧みられなくなっていたパール・バックでしたが、全米で人気の司会者、オプラ・ウィンフリーが自身のテレビ番組で『大地』を取り上げ、追って伝記本も相次ぎ出版された。彼女に再度スポットライトが当たる素地はできていました。
──『大地』単独ではピュリツァー賞を受賞しているんですね。小説だけど、報道寄りの賞で。
ノーベル賞受賞をめぐって「ちょっと大衆的すぎる」と批判が出たくらい、読みやすい文章で書かれています。中国・清朝末期の時代、人間の根源的なもの、土に足を着けて生きる貧農がはい上がっていく話で、出産や死、貧しさゆえの子殺しなどを赤裸々に描いた作品です。お砂糖をまぶすようなことはせず、彼女自身、口当たりのいい小説ではないと語っています。それでも読者からは支持され、二十数カ月世界販売1位という大ベストセラーになりました。
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