「慶応の一貫教育は最高の環境といえます」
慶応義塾出身者として初めて駐米大使を務めた藤崎一郎氏は、1960年4月に港区立白金小学校から慶応普通部に進学した。「決めたのは外交官だった父(萬里氏、元タイ大使)。外国に連れていき語学を習得させるためには大学まで続いている学校がいいだろうということで決めたようです」。
受験に際して読んだ『福翁自伝』の印象は今でも頭に残っているという。「権威を疑い、群れず、格好つけず、勉強して自らをつくるというのが福澤先生の教えの基本。野蛮なまでの強さから生まれ出る品格に感銘を受けました。慶応ボーイというイメージとずいぶん違うんだな、と」。
普通部に入学してわずか4カ月後に、萬里氏がシアトル総領事として米国に赴任。それに伴って2学期から日本人が誰もいない現地の公立中学に転入した。
待っていたのは言葉の壁だった。「先生や同級生が何を話しているのかさっぱりわからない。子どもならすぐに新しい環境に慣れて英語を話し始めるというのは、ほとんど大人の幻想にすぎません」。藤崎氏は普通部復学のため3年生になる直前に1人で帰国した。
この記事は有料会員限定です。
東洋経済オンライン有料会員にご登録いただくと、有料会員限定記事を含むすべての記事と、『週刊東洋経済』電子版をお読みいただけます。
- 有料会員限定記事を含むすべての記事が読める
- 『週刊東洋経済』電子版の最新号とバックナンバーが読み放題
- 有料会員限定メールマガジンをお届け
- 各種イベント・セミナーご優待
無料会員登録はこちら
ログインはこちら