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フェイスブックへの懐疑 建前の姿しか見えない

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米国社会でフェイスブックへの風当たりが強くなっている。北米での利用者が一時減少するなど、アカウントを削除する流れが生まれつつある。

個人情報流出問題で批判を浴びるフェイスブック。サービスのあり方に疑問が投げかけられている(ロイター/アフロ)

SNS(交流サイト)のフェイスブックが登場したのは十数年前、私が東京でロイター通信の記者をしていた頃だった。私は日本人だし、家族も日本にいたが、長年暮らした米国のシカゴを離れ、ホームシックになっていた。

フェイスブックはそんな私の世界を一気に広げてくれた。小学校時代の友人や大学の同級生と再びつながり、友人の見たテレビや映画、旅行の様子まで何もかもわかるようになった。友人のほうも、私の日常がずっとわかりやすくなったはずだ。離れた友人と親交を深められるフェイスブックは、いわば長距離コミュニティとして、私の人生を豊かにしてくれた。

一方で、フェイスブックへの熱が冷めたときのこともはっきりと覚えている。何年か前のことだ。私は、スティーブ・ジョブズ亡き後の米アップルをテーマにした著書『沈みゆく帝国』の締め切りに追われていた。執筆以外は何もする時間がなく、途端にフェイスブックが嫌になった。画面は大きな仕事を成し遂げた友達や、自身の記事をアップしたジャーナリスト友達の投稿であふれ、自分が取り残された気分にもなった。休暇を楽しんだ友人の投稿を心から喜べない自分に、罪悪感すら覚えた。

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